VACHERON CONSTANTINの歴史

ヴァシュロン・コンスタンタンは、一度も途切れることなく現在に至った最古の時計メゾンだ。創業は1755年。実に260年以上もの歴史を、創業の地スイス・ジュネーブでつないできた。機能と美しさを極める国際的時計メゾンの礎は、ヴァシュロン家とコンスタンタン家が築いた。

 

歴史を語る上で欠かせない、3人の偉人
左から、創業者のジャン=マルク・ヴァシュロン、共同経営者として国際的ネットワークを開拓したフランソワ・コンスタンタン、そして様々な工作機械の発明でメゾンの近代化に大きく貢献したジョルジュ=オーギュスト・レショー。

ジュネーブの伝統を260年間継承し続ける最古の時計メゾン

黎明期に確立された美意識と国際的販路

ジュネーブの時計産業が発展のただ中にあった1755年9月17日、24歳の時計師が見習い職人を雇い入れた。その時計師の名、ジャン=マルク・ヴァシュロン。今に至る260年のヴァシュロン・コンスタンタンの歴史がこの日、始まったのだ。
同年にジャン=マルクが製作した懐中時計が、残っている。銀製のケースに収めたムーブメントは、脱進機の周囲を美しいアラベスク装飾の彫刻が彩っている。優れた美観は、ヴァシュロン・コンスタンタンにとって、創業時からの伝統なのである。
その優れた技術と美意識は、息子アブラハムと、孫のジャック・バルテルミーが受け継いだ。またジャック・バルテルミーは、フランスに販路を拓き、次いでイタリアで成功を収める。そしてこのイタリアで、彼は運命的な人と出会った。別ブランドの時計を売り込むために来ていたフランソワ・コンスタンタンである。そのビジネスセンスに惚れ込んだジャック・バルテルミーは、1819年にフランソワを共同経営者に招き入れたのだ。ヴァシュロン・コンスタンタンの名は、この時生まれた。
フランソワのビジネス手腕により、販路は北米や南米にまで広がった。彼の進言で、まだ時計ブランドでは珍しかった宝飾の製作もスタートしている。
こうして国際的なブランドとなったヴァシュロン・コンスタンタンの高い生産力は、1839年に雇い入れた時計師ジョルジュ=オーギュスト・レショーによってもたらされた。彼はムーブメントの地板上にブリッジをセンタリングし、穴を開ける機械パンタグラフをはじめ、いくつもの工作機械を考案。これにより、製造効率とクォリティとが一気に高まった。
そして1875年、手狭になったそれまでのアトリエに代わる新社屋が、レマン湖に注ぐローヌ川の中州ケ・ド・リルに完成。この建物は当時の姿のまま、現在もブティックと遺産管理室などに使われ、一度も途切れずジュネーブで時計製作を続けるメゾンの歴史を象徴する。

メゾンの歴史を象徴するケ・ド・リルの社屋
フランソワの後を継いだ彼の甥ジャン=フランソワの指揮の下、近代的な設備を持つ社屋が1875年に誕生。この建物には今も本店ブティックなどが入る。設計は、ジュネーブのオペラハウスを手がけた建築家ジャック・エリゼ・ゴス。

工房として使われた歴史的建造物
13世紀の城内にあった歴史的建造物の塔「トゥール・ド・リル」の₄つの階が、1843~1875年、メゾンのマニュファクチュールとして使われていた。

1906年、初のブティックが開業
メゾン最初のブティックは、現在の本店と同じ場所で開業した。高級時計を販売するにふさわしく、調度もラグジュアリー。

世界中を飛び回ったパスポート
国際的販路を広げたフランソワ・コンスタンタンのパスポート。フランスやイタリア、アメリカ、メキシコ、キューバなど様々な国のスタンプで埋め尽くされている。

屋根裏部屋で作業に当たる時計師たち
18世紀の時計師は、日当たりの良い屋根裏部屋=キャビネットを工房としたため、キャビノティエと呼ばれた。メゾンはジュネーブのキャビノティエとしての誇りも、260年受け継ぐ。

 

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