2020.07.16

趣味人にしてファッショニスタ、名編を著すジャーナリスト「ニコラス・フォークス」【松山猛の時計業界偉人伝】

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趣味人にしてファッショニスタ、名編を著すジャーナリスト

松山さんがこれまで出会った、時計界の偉人たちとの回想録。今回は、時計や芸術分野で名高い英国人ジャーナリスト、ニコラス(ニック)・フォークス氏。

さまざまな分野に造詣が深く多くのファンを持つ

ニコラス・フォークスはイギリスの人気の高いヒストリアンだ。
オックスフォードのハートフォード・カレッジを卒業した彼が選んだのは、暮らしを彩る世界の探求であった。

やがて彼は英国上流階級についての書物を手掛け、英国が誇る名車を作り上げてきたベントレー社の歴史を紐解き、また多くの人が楽しみとしている葉巻について、さらには宝飾の歴史などについての書物を次々と著してきた。

近著はフランスの画家ベルナール・ビュッフェについての書だ。独特の画法で一世を風靡したこの画家を取り上げるところも、ニコラス・フォークスらしくて興味深い。

そのほか、雑誌ヴァニティ・フェアや英国版GQ誌の編集に関わり、タイムなどの新聞にも寄稿する多彩な才能の持ち主である。SNSの達人でもある彼のインスタグラムを見れば、この趣味の人の視点を共有できるから、興味のある人はそれを見てみるとよいだろう。

歴史を紐解く研究者としての顔も

今、僕の仕事机の上にあり、読み進めている彼の1冊は、ヴァン クリーフ&アーペルのために編纂した、オートマタに関するものだ。ニコラス・フォークスの博識ぶりがよくわかるその1冊は、オートマタの歴史の古代から現代までを網羅したものだ。

ギリシャで発掘された紀元前の、手足を動かすことができる人形に始まり、古代の精密な機械式暦として注目されているアンティキティラの機械のメカニズム、そしてやがて開花するアラビア文明の時代に活躍した天才科学者、アル・ジャザリの、水を動力としたさまざまな装置と、その発展形であるオートマタに関する解説など、僕も長らく興味を抱いていた世界が、豊富な図版とともに記されている。

アル・ジャザリは12世紀に現在のトルコのディヤルバクルに生まれた科学者でクランクシャフトやカムシャフトを発明し、また水を動力とする大型の象の時計などを発明し「知る人」=ウラマーと呼ばれたアラビア世界のダ・ヴィンチのような人物であった。

そして、この書物の最終章では、ヴァン クリーフ&アーペルが製作した“フェ・オンディーヌ”の物語が紡がれる。2017年に発表された、この水の精をモティーフにしたオートマタは、緑の蓮の葉の上に座ったオンディーヌと蓮の花が静かに動くもので、花が開くとダイヤモンドがちりばめられた蝶が舞い上がり、またオンディーヌの翼もはばたく。同時に水の上で揺れているかのように、蓮の葉も揺らめくという大変に凝ったものとなっている。

このような書籍が出版できる、ヨーロッパの出版文化は、なんて素敵なのだろうと、少しうらやましく思いながら、この本を読んでいる。

日本にもからくり儀右衛門とも呼ばれた田中久重による素晴らしい自動人形や万年時計があるのだが、なかなか立派な書物としてまとめられることが少ない。昨年の春、ジュネーブでのブルガリ主催のディナーで、同じテーブルで隣り合わせたニックに、我が日本が誇るべき田中久重の作った万年時計について話すと、興味深そうに聞いてくれていたから、いつか彼の著書で、あの日本の英知と技術について、彼が紹介してくれるかもしれないと期待している。

独自の選択眼を持つファッションリーダー

そして彼自身はその独特のセンスによる、まことにブリティッシュな趣味のファッションでも注目を集める、ファッションリーダーでもある。ジュネーブやバーゼルの、時計フェアの会場でも、長身の彼がよく身にまとっている英国的な格子柄のツイードのスーツ姿はよく目立つ。それも毎回出会うたびに、違うパターンの格子柄なので、いったいこの人は何着の格子柄のスーツを持っているのだろうと、妙に感心した覚えがある。

時計世界でも独特の視点を持ち、ジュネーブの時計グランプリの審査員として長年活躍している彼と親しく話すようになったのは、もう十年ほど前のことになる。

それは、ジャン-クロード・ビバー氏が、牧場付きの家を手に入れ、僕たちが招待された時のことだ。その牧場の牛たちはアルプという牧草地で放牧される。おいしい草をいっぱいに食べたその牛たちの栄養たっぷりのミルクから山小屋でチーズを作るのだが、秋になってそのチーズや牛、そしてチーズ作りのための大釜などが里に下る、“デザルプ”というお祭りのような特別な日のことだった。

ビバー邸にも近い、レマン湖畔モントルーのパレスホテルに、ニックの家族とともに、僕と家内も宿をとってもらっていて、朝晩に会う機会が多く、挨拶以上にさまざまな話題に触れるようになったというわけだ。

それにしても、あのデザルプというのは、めったに体験できるものではない。まさにスイスという国の人々の伝統的な暮らしの神髄に触れることができた体験だった。

そんなある夜にビバー氏の幼馴染みなどを含めた、親しい友人同士の食事会があり、その席でもお互いによい関係をつくる機会を得ることになった。そして、その時彼が身に着けていた美しいデザインの時計が目に留まった。

それはおそらく1940年代に作られただろう、小型で薄い造りのヴァシュロン・コンスタンタンの腕時計であった。その趣味のよさに僕は感服したというわけだ。また彼はいつも素敵な指輪を複数の指にはめている。同じように指輪を複数はめて楽しんでいる僕と、彼は同じような趣味を持っているのだろう。

ニックのほうも僕の持ち物や、着ている服、靴をよく観察していて、出会うたびに何かとほめてくれるのだ。服を着るということを、彼同様に楽しんでいる僕にとっては、その趣味は少し異なるにしろ、ニックは楽しきライバルだ。そして同じ趣味を持つ何人かの人物が、これまでこの時計の世界にもいた。

彼の著書に触れ、お洒落を楽しむ時代を想う

その1人がフランスのジャーナリストで『ムッシュー』という雑誌の編集長ジャン・ダーン。彼はまさにフランスの粋を体現している人で、そのスーツ姿が素敵だが、色の選び方に独特の美学を持つ人だと思った。またロジェ・デュブイを立ち上げたポルトガル人のカルロス・ディアスも、お洒落な人だった。そして惜しくも亡くなってしまったが、イタリアはミラノのディストリビューターとして、フランク ミュラーやダニエル・ロートを手掛けたロベルト・カルロッティ。この人はまさにミラノらしい仕立てのスーツを身に纏い、僕も足しげく通ったメンズ・ショップ“ドナーティ”の常連で、シックなネクタイとシャツをいつも趣味よく着こなす人だった。この4人が時計世界の洒落者だが、ニコラス・フォークスはその筆頭だ。彼らは、毎年のスイス時計取材で、最も注目に値する服や靴の選び方をしており、その着こなしが周りに刺激を与える人たちである。あの20世紀最後の時代の時計フェアは、お洒落親父がそのダンディぶりを競い合う世界でもあったのだ。

それはまだ今日ほど社会格差がひどくなく、日々の努力が報われた時代であり、懸命に生きるものには、それなりの報いがあって、古くからの価値観もまだ通用していた時代でもあった。つまりは心にも余裕があり、本当の意味において、暮らしの豊かさを享受できた時代だったのだ。ファッションブランドが提供する「流行」とは別次元の、自分流のお洒落を創造し、それを満喫していた大人が多かったあの時代が、時々懐かしくなる。

人間というのは面白い生き物で、時代時代に美しいものを生み出し、また暮らしを便利にしようと作り続けてきた膨大な数の道具の中から、真に素晴らしいものを選ぶことができる人は案外少ないのかもしれない。

ニコラス・フォークスは、それを見極める選択眼を持つ稀有な存在なのかもしれない。時計の世界における、彼の視点を追跡するのは大事なことかもしれないと、改めて彼の著書に触れて思ったのだった。

Nicholas Foulkes(ニコラス・フォークス)
英国出身の作家、ジャーナリストであり、編集者。宝飾や時計、ファッションなどを、芸術と歴史の観点から紐解いた25に及ぶ著書があり、英国の数多くの新聞や雑誌へ寄稿。ヴァニティ・フェア誌などの編集も手掛ける。パテック フィリップの関係者インタビューや歴史資料を編纂した『パテック フィリップ正史』(原題『Patek Philippe: The Authorized Biography』)は6ヵ国語で刊行された544ページに及ぶ大著。稀代のファッショニスタとしても知られる。写真右は、奥様のアレクサンドラさん。

 

[時計Begin 2020 SPRINGの記事を再構成]
文/松山 猛

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