2021.08.13

【受け継ぐ時計】ファッションデザイナー・森永邦彦さん「厳格な祖父の時計が結んだ“縁”」

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「ラドー トゥルー シャドー」につながる腕時計の記憶をたどって
厳格な祖父の時計が結んだ「縁」

最先端技術を用いながら、オーガニックで独創的な表現に昇華させ、世界から注目を集めているファッションデザイナー、森永邦彦氏。「ラドー トゥルー シャドー」を手がけたことでも知られているが、実は祖父の愛機もラドーだった!! 時計が紡ぐ、継承のストーリー。

 

森永邦彦
Kunihiko Morinaga
もりなが・くにひこ/ファッションデザイナー。1980年東京生まれ。早大在学中にバンタンデザイン研究所に通い服作りを始める。2003年、日常、非日常、時代を意味する造語をブランド名とした「アンリアレイジ」を設立。’05年ニューヨークの新人デザイナーズコンテストでアヴァンギャルド大賞受賞。同年東京タワー大展望台でコレクションを開催、以降東京コレクションに参加。 ’14年パリコレクション公式デビュー。’17年「ラドー トゥルー シャドー」をデザイン。 ’19年LVMHヤングファッションデザイナープライズでファイナリスト8組に選出される。今、最も注目を集める日本人デザイナーの一人である。

「ハイテクを使い心を揺さぶるアナログな表現を」

祖父のラドーの 記憶をたどって

祖父が使っていた時計がラドーだったことが、記憶に残っています。祖父は、国鉄で軌道開発、特に品川から小田原間の新幹線開発に携わった人でした。新幹線の軌道の設計図をはじめ、何事もすごく細かいところまできっちりやるタイプ。引っ越して家を新築する際に、家の図面も祖父が引きました。もちろん時間にも厳しかった。祖父は、よく新聞記事を切り抜いてノートに貼っていましたが、その中にラドーの広告があったのも覚えています。

その後、その時計がどうなったかは、残念ながら分かりません。父親が着けているのを見たこともないですし。僕もずっと腕時計を着ける習慣がなく、婚約記念にシチズンの「エクシード」を買ってからは、それを使っていました。父親が銀座の日新堂で婚約記念の時計を買ったと聞いていたので、同じところで僕はラウンド、妻はトノーを選びました。

今は、「ラドー トゥルー シャドー」を使っています。2017年に異なるジャンルから6人のデザイナーを選んでコラボモデルをつくるという企画で、この時計のデザインをさせていただきました。このお話を頂いたとき、祖父の時計の記憶があったので、これもご縁かなと思いましたね。

ラドーは、時計以外の分野での先端技術を自分たちの時計に組み込むという点では、僕らのブランドの姿勢と似ているなと思います。「ラドー トゥル ー シャドー」では、フォトクロミック テクノロジーを使い、透明なサファイアクリスタル文字盤が、光が当たると黒くなって、内部構造が見えなくなる。太陽の位置によって影を見て時間を察知していた日時計の考え方と、最新のテクノロジーを融合させて、アナログとハイテクの両方を合わせたようなものを作りたかった。他にない最先端の技術を使いながら、でも表現しているものは、一日の中の太陽の移ろいであったり、普段気付かない自分への光の当たり方であったり。テクノロジーを使っても、人の心を揺さぶるのは、もっと身の回りの本当にアナログな現象 のことが多いですから。苦労したのは、デザインというよりも、時計にとって新しい素材を使うので、ガラスにどう練り込んでいくか、相当実験が必要でした。この他に、地球上で最も黒い物質であるベンタブラックを文字盤に使うアイデアも出しました。素材も提供してテストもしたんですが、安全試験をクリアするのが難しかったのと、素材の値段が高額だったこともあって、断念しました。その後、H.モーザーがベンタブラックダイヤルのモデルを発表したときは、驚きましたが。

この時計を、自分用とは別にもう1 本購入して、父親の誕生日に贈りまし た。今も喜んで使っています。

 

ラドー
RADO

ラドー トゥルー シャドー

光で黒くなるダイヤルの驚き!!
2017年に1001本限定で発売。アンリアレイジを象徴するフォトクロミック技術を導入した文字盤が話題を呼んだ。写真は森永氏私物。自動巻き。径40mm。ハイテクセラミックスケース。5気圧防水。生産終了モデル。

ダイヤルは 受光すると黒くなる。
1 日の太陽の移ろいを 感じさせる、ハイテクと アナログの融合した ニュアンスが 刺激的だった。

 

「他がやろうとしないことには価値がある」

ファッションシーンの世代間をつなぐ自覚

「ラドー トゥルー シャドー」にも使ったフォトクロミックテクノロジーに最初に出合ったのは2013年でした。ファッションに使われていない技術を積極的に洋服に取り入れようと模索する中で、こすると消えるフリクション ペンを見て、その現象について調べたんです。あれは摩擦熱で色が透明になっていくんですが、そういうインクのようなもので洋服を染められないか、というところが出発点でした。そこから素材メーカーと共同して開発を進めていきました。

パリコレに出ていくタイミングで、アンリアレイジのテーマである「日常と非日常」を最も象徴するものとして、光と影という概念を洋服の中で表現していこうと方向性を決めました。そこから、光と影にまつわる作品を5年くらい続けてやるんです。光を表現し、影を表現し、光の反射を表現し、光の分光を表現し、光の透過性を表現して。

光が当たると色が変わる素材なんて見たことがないと、パリでも驚かれましたが、当初はなかなか目を向けてもらえませんでした。でも、ずっと続けていることで、最近フェンディからお声掛けいただいて、一緒にコレクションもやりました。いまだに他にはないものですし、それをファッションにできる人もなかなかいない。ビッグメゾンでもできないことを続けてきた、その価値があったんだなと。フォトクロミックは7年続けていますからね、粘ってやり続けていると光が当たる瞬間があるなと思いました。1回だけでやめていたらもう、発展も何もなかったと思いますから。

他がやろうとしないことには価値があると思っています。その一方で、受け継ぎ、引き継いでいくことも意識します。僕よりも上の世代はパリコレを目指して、その中で日本人らしい戦い方をして、世界をつくってきた。その後インターネットが出てきて、僕より下の世代は、昔のようにパリを目指して、そこから全てを発信するのではなく、デジタルを使った全く違ったファッションの作り方、売り方、伝え方をしている。それをアナログとデジタルという表現にしていいのか分からないですが、どちらの良さも分かるギリギリのところにいるのが、僕らの世代だなと思っています。上の世代がやってきた、実際にパリという場所に行って、人と会ってビジネスをして、洋服を作って、売ってということを、下の世代には伝えていきたいと思っていますし、その意志はすごくありますね。上の世代がパリに行っていなければ、僕はパリに行っていなかったと思うので。

ファッションの世界には60、70、80代の世代がしっかりあって、まだ40代でも若い世代に入ります。ただ、自分が若い世代だからといって、下の世代に対して何もできないと、ファッションは続いていかない。まだファッションに目覚めていない中学生くらいの子たちが、デザイナーになりたいとか、ファッションをやっていたらこんなに可能性があるとか、もしかしたらファッションってすごいんじゃないかなって、ちゃんと想像することができる世界をつくっていかなきゃいけない。僕は、そう思っています。

 

[時計Begin 2021 SUMMERの記事を再構成]

写真/谷口岳史 文/まつあみ靖

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