2022.12.13

時計業界偉人伝:ウルリッヒ・W・ヘルツォーク氏(オリスグループ会長)

松山 猛さんがこれまでに出逢った時計界の偉人たちとの回想録。今回は、オリスグループの現会長ウルリッヒ・W・ヘルツォーク氏。

ウルリッヒ・W・ヘルツォーク/1943年スイス・バーゼル生まれ。1982年よりオリス社社長を務め、現在は、オリスグループ会長、商品開発担当を兼任。趣味は建築、デザイン、美術史、スポーツ(テニス、スキー、スイミング)。

1938年製 ORIGINAL/1938年に誕生したビッグクラウン。ポインターデイト搭載のパイロットウォッチで、パイロットグローブを着けたままでも操作しやすい大ぶりのリューズ(=ビッグクラウン)を装備。

2022年 新作/2022年新作にはフルブロンズモデル「ビッグクラウンポインターデイト ブロンズ」(31万9000円)も登場。

1938年製 ORIGINAL/1938年に誕生したビッグクラウン。ポインターデイト搭載のパイロットウォッチで、パイロットグローブを着けたままでも操作しやすい大ぶりのリューズ(=ビッグクラウン)を装備。
2022年 新作/2022年新作にはフルブロンズモデル「ビッグクラウンポインターデイト ブロンズ」(31万9000円)も登場。

 

名作時計「ビッグクラウン」との出会い

オリスグループの現会長である、ウルリッヒ・ウォルター・ヘルツォーク氏とは、1980年代の後半から毎年通うようになったバーゼルワールドで、いつも言葉を交わしてきた、長きにわたる顔なじみだ。バーゼルワールドがまだ、バーゼルフェアと呼ばれていた時代からの常連で、その歴史をさかのぼれば、創業が1904年というから、120年近い歴史を誇る会社だということになる。

僕がバーゼルで最初に出会ったオリスの時計は、おそらく復刻されたビッグクラウンと呼ばれるパイロットウォッチのシリーズだったと思う。

ビッグクラウンとは文字通り、大きなリューズを持つ時計で、それはパイロットが手袋をしたままでも操作しやすい大きさであり、そのオリジナルは1938年にまでさかのぼるそうで、そんなに早い時代からオリス社は、機能に優れた時計を作ろうとしていたということになる。

この時計によってオリス社は、航空時計というカテゴリーをその歴史に刻み始めたのだった。

 

機械式時計復興の立役者

このビッグクラウンが復刻された1984年といえば、まだ多くのスイスの時計会社がクォーツショックから回復できずにいた時代であった。機械式時計産業の斜陽化が激しく、多くのブランドがその歴史に幕を引き、たくさんの工作機械が海外に流出した時代の最中だったが、ようやくごく一部の人々によって、機械式時計を復興させようという機運が生まれ始めた時代でもあった。つまり、スイス時計産業が雪崩を打つようにクォーツ時計製造に走っていたそんな時代に、いち早く機械式時計を復刻させた人物の一人が、このヘルツォーク氏だったのである。

オリス社の歴史を紐解くと、195
0年代には自社開発した自動巻きムーブメントを搭載した腕時計を、また1960年代には高機能なダイバーズウォッチを生み出している。またヌーシャテル天文台の精度検定に合格する快挙をも成し遂げたオリス社だったが、1970年代になると、クォーツショックの影響を受け、さらに、あるグループに吸収され独立した企業体でなくなってしまう。結果、900人を数えた従業員の多くが工場を去り、数十名が残るのみとなったのだそうだ。

しかしその苦難の時代が過ぎ、19
82年に経営権を取得したヘルツォーク氏が、ロルフ・ポートマン氏と共に新会社としてオリス社の立て直しを図り、それからは機械式時計のみを製造するという基本路線を敷く。

復刻したビッグクラウンは、当時希少だったポインターデイト機能を持っており、機械式時計ファンを歓ばせてくれたものであった。それは様々なスタイル、機能、デザインを持つ時計があふれんばかりの今日からは想像もできないようなことだろうが、機械式が絶滅しそうな、危機的な時代があったことを、そしてそんな時代にそのような時計を世に問おうとした人がいたことを、今一度思い起こしてもらいたいと僕は思う。

 

日本通でもあるヘルツォーク氏

ヘルツォーク氏は1943年に、スイスのバーゼルに生を受ける。スイスは永世中立国とはいえ、ヨーロッパは第二次世界大戦と戦後という、大混乱の時代であっただろう。同じように子ども時代に戦後を体験した僕には、どこか通じ合うところがあるように思える人物だ。そしてバーゼル市はフランス、ドイツと国境を接する三国国境の都市であり、そこで育った彼はドイツ語を母語としながら、フランス語や英語にも堪能となっていったのだろう。

そのような能力を生かし、1960年代にはユニオントレーディングカンパニーの極東輸出スーパーバイザーとしてアジアを歴訪。その時代から日本にもよく来ていて、それゆえ日本人の好むものへの理解が深かったに違いない。だからこそ1982年に彼がオリス社の経営に携わり始めたとき、日本の時計マーケットでは機械式時計が人気を得るであろうことを、彼は見抜いたのだった。新会社発足からわずか2年で、日本人が好みそうなビッグクラウンを作り上げたのも、そのマーケットへの深い理解があったからであろう。

 

「実用的に意味あるものを作る」理念とは?

さて、オリスの時計には質実剛健という言葉がぴったり当てはまる。オリスの時計は機能を優先して余計に飾ることをしない潔さがあるのだ。そして常に地道ながら、機能性を追求し続けてきた歴史を誇る。そこから生まれたのが自社製のムーブメントであり、様々な実用的機能を持つコレクションなのである。

数年前にヘルツォーク氏と少しゆっくり話をする機会があり、そのときにオリス社では社内で一切ペットボトル入りの飲料を飲まないようにした、という話を聞いて感心した。企業の理念として環境への配慮をしようというその姿勢は、オリス社の様々な環境問題への取り組みにつながっている。

一つの会社のこうした取り組みは、さほどの効果を生まないかもしれないが、そうした企業姿勢を発信することによって、社会に与える影響は大きいものになるかもしれないと思った。

ある時代から海辺に行くと、どこかから流れ着いてくる、様々なごみが海岸に打ち上げられているのを目にするようになった。それは僕の子ども時代には見ることのなかった悲しい風景である。京都で育った子ども時代の夏の臨海学校で過ごした丹後の海や中学時代に出かけた山口県の海岸には、まだ漂着するごみは少なかった。それが今や我が家の近くの横浜の海沿いを歩くと、驚くほどのプラスチックごみが海に浮かんでいる。昨年の秋に横浜の海を守ろうという有志に誘われて、海に注ぎ込む大岡川の清掃に参加して、そのごみの量の多さに驚いたものだった。プラスチック製品の原料は、言うまでもなく石油由来のものであり、それらはやがて大洋に流れ出し、環境を汚染し続ける。世界の心ある人々がそれに警鐘を鳴らし、何とか海洋の汚染を防ぎたいとプロジェクトを始めている。

マイクロプラスチックや、海洋の汚染に対しては、何社もの時計会社が関心を持ち、様々なプロジェクトを立ち上げているが、オリス社はその先頭を歩んできたのだった。たとえばサンゴ礁の保全への取り組み、海洋に流出するプラスチックを効率よくとらえるシステムへの取り組みなど、多様なプロジェクトへの協賛を、情熱をかけて遂行してきたという。それはヘルツォーク氏をはじめとした、経営陣の英断によるものであり、企業はかくあるべきという、夢のある姿に思えるのだった。

1904年の創業当時から、時計師たちやその家族のために、会社が宿舎を提供し、また工場への交通機関を整えるなど、働き手のための手厚い心遣いが企業の理念であったことをその歴史から知った。そのような優しさを持つブランドの歴史の延長線上に、環境に優しい企業の姿が見えるのだ。

サステイナブルな社会の構築は、21世紀を生きる我々にとって、積極的に取り組むべき事柄であろう。それは我
々に続く、未来の地球人のために用意すべき正しい環境の姿なのであるから。

いつまでも使ってもらえる時計を作ろうという、オリス社の時計作りの精神も、ひとえに今は会長としてブランドを牽引する、ヘルツォーク氏の生き方から生まれたものなのだろう。

機械式時計復活にかけてきた彼は、やはり時計世界の偉人の一人なのだと僕は思うのだ。

 

お問い合わせ:オリス公式サイト

[時計Begin 2022 SUMMERの記事を再構成]