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2025.08.29
【時計王・松本 猛の時計業界偉人伝:第42回】時計で夢を見させてくれるブライトリングのCEO
時計王・松山さんが、これまで出会った「時計界の偉人」との回想録。空の世界からロマンを広げる、ブライトリングとジョージ・カーン氏を語る。

【ジョージ・カーン】大学を卒業後、食品関係の仕事に就いた後、タグ・ホイヤーに入社。2000年にリシュモングループに入社し、2002年に36歳の若さでIWCのCEOに就任。その後2017年にブライトリングCEOに就任し、現在の魅力的なラインナップを構築した。サステナビリティとデジタル化も積極的に推進している。
クロノグラフとブライトリングの発明史
ブライトリングの現CEO、ジョージ・カーン氏との付き合いも長いものとなった。彼がブライトリングのトップになると聞いたとき、あの独特の世界観を築いてきた歴史あるブランドをどう導くのだろうと、期待を込めて見つめようと思ったものだった。クロノグラフやブライトリングの歴史は時計ファンのよく知るところだろうが、あえておさらいをしてみよう。
経過する時間を計測するという機構の発明は、人間の心拍数を測ることができればという、医療関係者の願いから始まった。イギリスの内科医ジョン・フロイヤーからの依頼を受けた時計師サミュエル・ワトソンは、レバー操作で秒針を止める機構を1695年に発明した。この最初のストップウォッチは5分の1秒まで計測できたという。
1720年にはスタート、ストップが可能なストップウォッチを、ジョージ・グラハムが発明し、この時計は16分の1秒まで計測できた。しかし本格的なストップウォッチの発明は、1816年のルイ・モネによる"コンター・ドゥ・ティエルス"と考えるべきであると近年の研究で明らかになっている。この時計はなんと60分の1秒という精度を持っている。その後スポーツでの順位を計測する時計も求められるようになったが、その先駆けとなったのが、競馬のために作られたニコラ・リューセックのクロノグラフだった。
やがて世界は自動車や航空機という、近代的な乗り物の発明と実用化の時代を迎える。それはストップウォッチ機能を持つクロノグラフの需要が高まる時代の幕開けでもあった。
レオン・ブライトリングがサンティミエでポケットウォッチの製造を始め、ラ・ショー・ド・フォンに工房を移転した頃、クロノグラフ機構を持つポケットウォッチ製造に未来を託した。1893年にはタキメーターやパルスメーター、電話の通話時間を測るなどの機能を持つ、様々なクロノグラフ・ポケットウォッチを開発販売し、10年間で10万ピースを売り上げたという。その後、人類の夢であった飛行機が発明され、地上では自動車が走り始めた時代、時計というものの持つ意味にも変化が求められるようになる。飛行時間の経過や、燃料の残量把握など、飛行機乗りにとって、時計は命綱のような存在へとなっていったのだった。

1915年にガストン・ブライトリングが開発した、独立ボタン付き腕時計型クロノグラフ。
ブライトリングでは二代目となるガストン・ブライトリングが、2時位置にプッシュピースを持つ、シングルボタンクロノグラフを1915年に開発する。これこそが現代的な腕時計スタイルのクロノグラフの登場だったのだった。ブライトリングの発明の中でもとりわけ重要なのは、リセットボタンの開発だろう。わずか19歳で3代目となったウィリー・ブライトリングの時代の1934年に、4時位置にリセットボタンを配置したクロノグラフ腕時計が作られ、これが現代的なクロノグラフ腕時計のスタンダードとなっていった。時計に興味を持ち始めた頃、僕が最も欲しいと思った時計の一つが、このスタイルのブライトリングのクロノグラフだった。

1934年、ウィリー・ブライトリングがリセット専用のプッシュボタンを4時位置に置く特許を取得。
ナビタイマーを着ければ空想の空旅を味わえる
そのナビタイマーとの出会いは鮮烈だった。クォーツ時代が始まった1970年代の半ばころ、目黒区の小さな時計店で見つけ、手に入れた時は、飛び上がるほど嬉しく思ったものだ。飛行機の操縦を助ける回転計算尺を文字盤の外周に持つこの時計は、やがて開発されるクロノマットとともに、ブライトリングを代表するモデルとして、今日も改良され続ける大ロングセラーである。もっとも僕にとって回転計算尺は宝のもち腐れで、その機能を生かし切れてはいない。しかし、以前、本誌の兄弟誌であるMEN S’EXで英国趣味の特集を取材した時、タイガーモスという練習機を愛好するクラブの人々の多くが、ブライトリングのクロノマットを身に着けているのを見て、パイロットたちからの信頼を感じた。

ナビタイマー オートマチック GMT 41。クロノグラフを省いて薄型化した一方で、計算尺が引き立つメカニカル感は健在。自動巻。経41㎜。SSケース。アリゲーターストラップ。3気圧防水。83万6000円。
2000年代に入るとブライトリングは顧客のために、独自のエアショウを度々開催した。僕も2度ほどそれに参加させてもらい、あこがれだった第二次大戦中の戦闘機、ロッキードP –51マスタングの、後部座席に乗り20分ほどのフライトを楽しませてもらったり、ブライトリング・ファイターズに乗って、宙返りをするなどのめったにできない体験をさせていただいた。この時代のブライトリングは、まさに空の時計としての印象が強く打ち出されていたが、2017年にジョージ・カーン氏が経営にあたるようになると、空だけではなく、海、そして陸の時計としての展開が始まったのだった。
「人間のあらゆる生活シーンにとって必要とされる時計を作ろう」という、カーン氏がこのブランドを再設計して行くうえでの意気込みが、そこにはあったに違いない。
スポーツの分野では陸上にも、また海の世界にも、時計がもたらす正確さが求められるシーンが多い。またカーン氏があるインタビューで語っていたように、たとえ実際に競技に参加するとかではなくとも、自分の好きな世界を、その時計を身に着けることによって楽しむ人は多いに違いないのだ。ヨットで風を切っていなくても、バルーンで空を散歩しなくても、高い山に登らなくても、お気に入りの時計を身に着けて、その気分を味わうことが楽しめるのだ。高価なダイバーズウォッチを実際に着用してダイビングを楽しむ人もいるだろうが、多くの人は日常の暮らしの中で、空想のダイビングを楽しんでいるに違いない、と僕は思う。僕が積算計付きのクロノグラフを、実際に使ったことがあるのは、ヨーロッパへの空の旅などの時だ。離陸してからの時間経過を知るためだった。今は座席に付いているモニターが、フライトの状況を教えてくれるようになったが、1970年代などには、そんな便利な物はなかったからだ。
カーン氏がブランドを陸海空に展開する
ジョージ・カーン氏は1965年にドイツのデュッセルドルフにおいて、ドイツ人の父親と、フランス人の母親のもとに生まれた。長じてフランスのストラスブールで政治学を学び、次いでスイスのサンクトガレン大学で経営学を専攻し、学位を得て卒業、最初は食品関係の仕事に就いたが、のちに時計の世界へ足を踏み入れた。最初はタグ・ホイヤーで働き、のちにリシュモングループに入り、様々なブランドを体験した後、わずか36歳というIWC史上最年少の責任者に抜擢された。カーン氏の実力を見抜いたのは、ランゲの再興に力を尽くすために、IWCとジャガー・ルクルトをグループ傘下に置いた、ギュンター・ブルムラインに違いない。その時代以来、僕はカーン氏の存在を知り、彼にブランド構築の見事さを見続けてきたわけだ。
そして2017年、彼がブライトリングの経営に参加し、ブライトリングという、独自路線を歩んできた時計ブランドを、彼らしい手腕で再構築するようになったのを興味深く見てきたのだった。彼が手掛けたEコマースの充実や、空に特化してきたブランドイメージからの脱却と、陸、海、空の三位一体の時計作りの展開など目を見張るほかはない。そのイメージ展開を成功に導く手腕は、超一流のコンセプトづくりの賜物だった。

カーン氏のキモ煎りで復活したプレミエ。本作は18Kレッドゴールドケースの「プレミエ B15 デュオグラフ 42」。スプリットセコンドを搭載。手巻き。経42㎜。100m防水。320万6500円。
男の時計というイメージを持っていたブランドを、女性たちも好む世界に広げたのも、彼らしい仕事だ。時計とは時を測る道具であるだけではなく、夢を見させてくれるオブジェでもあるのではないだろうか。
カーン氏の今後の益々の活躍が楽しみではないか。
[時計Begin 2025 SUMMERの記事を再構成]
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