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2025.08.01
【あの時、歴史が動いた⁉:第5回】~風雲児よ、何処へ~ ティエリー・ナタフ編
高級時計の聖地、スイス。永世中立国でもある同国は、外からの圧力には屈しない。それは同時に、閉鎖的でもあるということ。フランス、ドイツ、イタリアに隣接していながらも、EUには加盟しておらず、通貨は未だスイスフラン。長い歴史を持つ時計ブランドの多くが今もなお現役なのは、急激な変化を好まず、伝統を重んじて歴史を守って来たからだ。退屈なルールに風穴を開けようとした時代の風雲児たちは、時に激しく攻防を繰り広げ、戦ってきた。そんな彼らは得てして、同じ場所にとどまらない。
時代の風雲児 #01
ティエリー・ナタフ ~ダイアルに〝穴〟を空けたハイビートなクリエイター~
Profile:時計師でもなくデザイナーでもないが、実際に時計のデザインを考えていたのは、ナタフ。ル・ロックルのゼニス工房で、彼がスケッチした新作のアイデアを何枚も目にした。2001年6月にゼニスのCEOに就任。2009年までゼニスでその敏腕をふるった。

本誌は、2001年にティエリー・ナタフがゼニスCEOに着任した時から、ほぼ毎年のようにバーゼルワールドの会場で新作への意気込みを聞いてきた。3回目の取材となった2003年の取材では、彼の才能がついに開花したエル・プリメロの「オープン」について、誕生の背景とその先の構想を聞き出した。

この時の夏号は恒例のバーゼル&SIHH(W&Wの前身)新作特集。会場で取材した約20人のブランド要人たちに、時計作りに対する情熱とは何かを、聞いて回った。表紙の時計に選んだのが、ゼニスのオープン。この辺りから、ナタフ時代のゼニス快進撃が始まった。
それまでのイメージからガラリと変わったゼニス
かつてのデイトナが、ムーブメントにエル・プリメロを搭載していたことから、本誌でも認知度が急上昇していったゼニス。それまでのイメージといえば、高い技術力を全力でアピールするブランドというよりは、影の立役者的な存在。時計業界で唯一無二のハイビート・クロノグラフを持っているのに「それを全面に打ち出さなくて、どーする!」と、ブランド改革を行ったのが、ティエリー・ナタフである。
高振動で動くパーツを見せるため、彼はダイアルの一部に大きな〝穴〟を空けた。このオープンという仕様は、今ではどのブランドも採用している定番。しかし最初は「油が拡散する、酸化する」など、否定的な意見が多かった。その後にティエリー・ナタフが主導して発表された時計も、なかなか劇的。積算計に手裏剣のようなパーツを取り付けたクロノグラフは、45㎜を超える大きさとなり、いかついケースをまとったダイバーズに進化していった。

日本にも頻繁に訪れていたティエリー・ナタフ。本誌はその都度、最新のゼニス情報を聞き出すために取材を行った。かつての連載企画「Watch illustrated」では、綿谷画伯のキャッチーなイラストによって、彼の強烈なキャラクターが浮き彫りに。

2006年夏号の新作をまとめた別冊付録では、162ブランド合計476本の時計を紹介。時期的には、時計バブルがピークを迎え、ちょっと落ち着いた頃だろうか。スイス時計の対抗馬として、誠実でハイクオリティ、そして価格も良心的だったドイツ時計を徹底取材。その全プロファイルをまとめた。
そしてティエリー・ナタフは、新生ゼニスを強調するあまり、それまでのゼニスがコツコツと積み上げてきた歴史を封印。昔の話や、かつての名作が語られることはなくなっていった。生まれ変わったゼニスは、急激に売り上げを伸ばしていったが、新しいものに飛びつく人は、飽きるのも早い。ゼニスをずっと支えてきた真面目な時計ファンとの間にギャップが生じていくと、社長の座を交代することに。新たに舵取りを任されたのは、現ロレックスCEOのジャン-フレデリック・デュフール。彼が就任後、真っ先にやったことは、ゼニスの圧倒的な歴史を1冊の本にまとめることだった。
[時計Begin 2025 SUMMERの記事を再構成]