2025.08.08

【あの時、歴史が動いた⁉:第5回】~風雲児よ、何処へ~ カルロス・ディアス編

高級時計の聖地、スイス。永世中立国でもある同国は、外からの圧力には屈しない。それは同時に、閉鎖的でもあるということ。フランス、ドイツ、イタリアに隣接していながらも、EUには加盟しておらず、通貨は未だスイスフラン。長い歴史を持つ時計ブランドの多くが今もなお現役なのは、急激な変化を好まず、伝統を重んじて歴史を守って来たからだ。退屈なルールに風穴を開けようとした時代の風雲児たちは、時に激しく攻防を繰り広げ、戦ってきた。そんな彼らは得てして、同じ場所にとどまらない。

時代の風雲児 #02
カルロス・ディアス ~時に〝トゥーマッチ〟な全力突進型の天才~

Profile:繊維業界で大成功を納めたカルロス・ディアスは、熱心なアンティーク時計コレクターだったことから、古典的な時計作りを得意とするロジェ・デュブイに出会い、意気投合。1997年のジュネーブサロンでショーケース展示を行う。当初からジュネーブ・シールにこだわっていた。

カルロス・ディアスが2001年にジュネーブに建設した最新ファクトリー。そのオープン直後に取材した際には、最上階にあるコンプリケーションルームに、時計を組み上げるロジェ・デュブイ本人の姿があった。

記念すべき通巻30号。パテック フィリップやオーデマ ピゲ、ブレゲなど、ゴールド時計を基本に展開する「極上ウォッチ」の真髄を追求した。冬号恒例の時計グランプリはクレドールのスプリングドライブが受賞している。

カルロス・ディアスが2001年にジュネーブに建設した最新ファクトリー。そのオープン直後に取材した際には、最上階にあるコンプリケーションルームに、時計を組み上げるロジェ・デュブイ本人の姿があった。
記念すべき通巻30号。パテック フィリップやオーデマ ピゲ、ブレゲなど、ゴールド時計を基本に展開する「極上ウォッチ」の真髄を追求した。冬号恒例の時計グランプリはクレドールのスプリングドライブが受賞している。

ロジェ・デュブイを一大ブランドへと導いた豪腕

現在リシュモン・グループに属するロジェ・デュブイ。もちろん知っていると思うが、ロジェ・デュブイとは、時計師の名前だ。ロンジンに入社し、その後パテック フィリップでコンプリケーションの腕を磨いた伝説の時計師ロジェ・デュブイは、2017年10月17日、80歳でこの世を去った。

彼が驚異的であったこと、それは1995年に57歳という年齢で自身のブランドを立ち上げたことだ。この時の、もう一人のキーパーソンがカルロス・ディアスである。天才時計師というのは経営のプロではない。好きな時計を作るには、マネージメントを任せられるパートナーが必要なのだ。

本誌で初めてパテック フィリップのオンリー特集を決行。いつかはPP、だったら思い切って1本目からPPもアリでは、と提案した。その他、全国100の時計店へ時計調査を行い、最新の市場調査を発表。

本誌で初めてパテック フィリップのオンリー特集を決行。いつかはPP、だったら思い切って1本目からPPもアリでは、と提案した。その他、全国100の時計店へ時計調査を行い、最新の市場調査を発表。

ポルトガルからフランスにわたり、イタリアで博士号を取得したカルロス・ディアスを、ロジェ・デュブイはパートナーに選んだ。彼は完全な経営者タイプではなく、時計のデザインも自分で担当。イージーダイバーやシーモアといった「海」時計を生み出す一方、トゥーマッチやマッチモアなど個性的な角型時計を次々とリリースした。

2001年、ジュネーブに最新鋭のファクトリーを建設すると、ダブルトゥールビヨンなど、〝増し増し〟なコンプリケーションも自社で製作。「複雑時計のロジェ・デュブイ」を定着させた。しかし、2008年のリーマンショックにより時計業界は超高額な複雑時計より、シンプルでクラシックな原点回帰の方向へ。そんな状況に退屈したのか、カルロス・ディアスは、時計業界から姿を消した。

[時計Begin 2025 SUMMERの記事を再構成]