2018.04.25

松山 猛の「時計業界偉人伝」Christophe Claret(クリストフ・クラーレ)

可能性を追求し続ける複雑時計界の有名人

松山さんがこれまで出会った、時計界の偉人たちとの回想録。
今回は、複雑にしてユニークな時計を数々生み出してきた奇才、クリストフ・クラーレ氏。

松山 猛の「時計業界偉人伝」Christophe Claret(クリストフ・クラーレ)

Christophe Claret(クリストフ・クラーレ)
/1962年リヨン生まれ。ジュリオ・パピらと興した会社を1991年に買い取り、独立。複雑時計界の“縁の下の力持ち”として活躍後、2009年、自身の名を冠したブランドを開始。

 クリストフ・クラーレという時計師は、現代の機械式時計の世界でもかなりユニークなポジションを築いてきた人物だと言えよう。
 彼はこの30年の間、数々の時計メーカーに対し、トゥールビヨンやミニッツリピーターなどの複雑なムーブメントを供給してきた。また、2009年に創立した自らのブランドにおいては、機械式時計の世界にこれまでになかった、さまざまな機能を持つオリジナリティあふれる腕時計を作り続けている。
 僕が彼の仕事に注目し始めたのは、1990年代の半ば頃のことだった。ある年、SIHHの会場の入り口に、その年の招待作家としてクリストフ・クラーレのスタンドが用意されていたのである。
 その前年にロジェ・デュブイのブランドが招待されたように、その頃のSIHHは、将来有望とみなしたブランドや時計師にお披露目の場を提供し、世界に発信するチャンスを作っていたというわけだ。
 クリストフ・クラーレの時計を見て、これはただ者ではないと思い、彼に声を掛けた。そしてその仕事ぶりがわかる冊子をもらって知ったのは、彼がその頃はまだ珍しかった、腕時計用の小型ミニッツリピーター・ムーブメントを作ることができる、凄腕の時計ムーブメント・メーカーであることだった。
 そういえば以前、アカデミーのメンバーの一人の、アントワーヌ・プレジウソが、ヴェネチアのサン・マルコ広場を背景にしたリピーターとオートマトンを備えた腕時計を作った時、ムーブメントを供給してくれる小さな工房があると言っていたことを思い出し、ひょっとするとその工房こそ、クリストフ・クラーレの工房かも知れないと考えたのだった。

スイス時計産業が冬の時代となったクォーツ・クライシスが終わったのは、1986年のことである。その頃から、もう二度と再現されることはないと思われていたさまざまな機構を持つ機械式腕時計が、あちらこちらで企画されるようになる。そしてその複雑な時計のための、ムーブメントの再開発が望まれるようになり、ムーブメント開発の機運が春を待っていた草花の種のように発芽し、花を咲かせようとしていたのだ。
 詳しい話は知らないが、その時代に複雑時計の故郷と言われるヴァレ・ド・ジュウのムーブメント会社が、腕時計のためのミニッツリピーター・ムーブメントの開発に乗り出したと聞いたことがあった。ロジェ・デュブイのもとに、若い才能が集結して開発にいそしんだというから、それがクリストフ・クラーレや、ジュリオ・パピたちだったのだろう。
 またその頃、19世紀の複雑時計ムーブメントの王者、ルイ・エリゼ・ピゲの直系であるフレデリック・ピゲ社も、ブランパン・ブランドのために、薄型のミニッツリピーター・ムーブメントを開発していたし、独立時計師のフィリップ・デュフォーも、オーデマ ピゲ社のためにグラン・ソヌリのムーブメントを新たに作り上げていた。その時代が、機械式時計の重要なエポックであったことは間違いないだろう。
 クラーレ氏は1962年に、フランスの、繊維製造や美食で知られるリヨンの町に生まれる。このリヨンという町は、ジュネーヴの町からそう遠い距離にはない。ローヌ河を用いた水運などで、古くから二つの町は実は親しい関係にあったのだ。
 彼は10代半ばという若さで時計の修復に興味を持ち、家族経営のアトリエで修復に携わり、やがて1978年にジュネーヴの時計学校に入学する。
 そしてその時代、ジュネーヴ時計学校で教鞭を執り、後進の時計師を育てていたのが、ロジェ・デュブイだった。1982年に時計学校を卒業した後は、ロジェ・デュブイのアプランティス=実習生となって、そのアトリエで永久カレンダーなどの複雑時計について研鑽する日々を送ったと聞く。
 1984年には自身のアトリエで時計製作に勤しみ、ムーブメントの地板やブリッジなどを極限までえぐり、そこに彫金で装飾を施したスケルトン・ウォッチなどを手掛けた。
 そして彼にとって大きな転機となるのは、1986年に手掛けたクォーターリピーターに、オートマトン=ジャックマートを組み込んだ時計の製作に成功したことだろう。
 ブルーの文字盤の12時位置に、ふたつのベルがあり、ケースサイドのレバーをスライドさせると、それを二人の天使がティンティンとハンマーで打つというジャックマートは、実にロマンティックなものだったろう。
 この小さな複雑腕時計に注目したのが、その頃ユリス・ナルダン社のオーナーとなった企業家、ロルフ・シュニーダーであった。彼は新進気鋭の時計師クリストフ・クラーレに、ユリス・ナルダンのための、ジャックマート付きのミニッツリピーター・ムーブメントを20ピース注文したのである。
 そしてその注文などを仕上げるためには仲間の力が必要だと考えたクラーレ氏は、旧知の時計師ジュリオ・パピとドミニク・ルノーに声をかけ、彼らと一緒にそれぞれの頭文字を並べたRPCという会社を設立したのだった。翌年そのムーブメント、キャリバーCLA88を搭載した、ユリス・ナルダン社のジャックマート・ミニッツリピーター“サン・マルコ”が完成し、その年のバーゼルフェアに出品されて、大きな反響を呼ぶことになった。

松山 猛の「時計業界偉人伝」Christophe Claret(クリストフ・クラーレ)

 この時計の存在を知った時、こんな小さな腕時計という空間に時・分を音で告げるシステムや、文字盤上のフィギュアが鐘を打つ仕草をするジャックマート機構が詰め込まれているのかと、大いに驚いたのを思い出す。それまでに博物館などでジャックマート付きのポケットウォッチを見たことはあっても、それが腕時計サイズで再現される時代が来るとは思ってもみなかったからだ。
 あの時代、毎年バーゼルやジュネーヴの時計ショーの時期には、わくわくしたものだった。なぜなら、もう失なわれてしまったのだろうという多くの時計ファンの思い込みを、良い意味で裏切るような再開発や新開発が続いたからである。
 機械式時計という、人類の発明品の中でも特別な意味を持つ文化が未来に繋がり、それを作る人と、それを求めて楽しもうとする人たちが、幸福な関係を継続できたことは本当に喜ばしいことだったと今も思う。時を計る道具としてだけではなく、機械式時計には人間の英知や技術の粋がたっぷりと込められているのだから。
 やがてクラーレ氏は仲間とシェアしていた株式を買い取り、クリストフ・クラーレSAという会社を設立した。一方、ジュリオ・パピとドミニク・ルノーはルノー・エ・パピという会社を設立する。ルノー・エ・パピもまたそれ以降、時計業界において重要なポジションを占め、やはり複雑時計ムーブメントをたくさんのメゾンに供給する、なくてはならない会社として成長を果たした。そして現在はオーデマ ピゲ社の一翼として、数々の傑作ムーブメントを開発している。
 結果として時計業界は、二つの素晴らしい工房を得ることになったのだ。
 1997年にクラーレ氏は、小型のシリンダー式オルゴールを組み込んだ腕時計を作ることに成功する。これは18世紀末にアントワーヌ・ファバースという時計師が作った、ポケットウォッチにインスパイアされたものだが、腕時計サイズにシリンダーやそれを動かすためのエネルギーとなるスプリング、音を奏でるための20の歯を持つコームを時計装置とともに収めた、驚き
のムーブメントの完成でもあった。
 またニューヨークのジュエラー、ハリー・ウィンストンによるオーパス・シリーズのプロジェクトに参加した彼は、ムーブメントの左右に、縦に動くプラチナ製オシレーターによる自動巻きのトゥールビヨン・ウォッチを製作し、その時計は2004年のジュネーヴ時計グランプリに入賞したのだった。
 彼の工房はそれ以降、さまざまなユニークな時計を生み出してきた。
 なかでも“ブラックジャック”や“バカラ”のシリーズは、ボタンによる操作で文字盤上の窓にカードが配られ、ゲームができるという驚異的な複雑装置を持つ時計だ。しかも時計の裏側にはルーレット盤があり、それでも遊べるという、まさに腕の上にのる小さなカジノなのである。
 また女性のために作られた時計の一つ“マーゴ”は、ボタンを操作すると花びらが一枚ずつ動き、恋占いをするというロマンティックな時計であり、この時計もジュネーヴ時計グランプリの、女性のための複雑時計部門で受賞を果たしたのだ。
 腕時計の可能性をどこまでも追求し続けるクリストフ・クラーレもまた、時計界の偉人の一人だと僕は考える。

松山 猛の「時計業界偉人伝」Christophe Claret(クリストフ・クラーレ)

リピーター機構が覗ける開口部を文字盤下部に備えた「アレグロ」。手巻き。

松山 猛の「時計業界偉人伝」Christophe Claret(クリストフ・クラーレ)

ブラックジャック、ルーレット、ダイスの3ゲームが楽しめる「ブラックジャック」。自動巻き。

松山 猛の「時計業界偉人伝」Christophe Claret(クリストフ・クラーレ)

2018年のSIHHで発表した最新作「マエストロ・マンバ」。手巻き。

[時計Begin 2018 SPRINGの記事を再構成]
文/松山猛 撮影(人物)/岸田克法