2019.06.01

デザインで魅了する腕時計界のピカソ「アラン・シルベスタイン」【松山猛の時計業界偉人伝】

松山さんがこれまで出会った、時計界の偉人たちとの回想録。
今回は、そのユニークな時計で日本にも多くのファンをもつアラン・シルベスタイン氏。

 

Alain Silberstein(アラン・シルベスタイン)
1950年、パリ生まれ。インテリア、工業デザイナーとして活躍の後、1987年のバーゼルフェアに3本の時計を携え初出展。フランス・ブザンソンにアトリエを開く。ユニークなデザインの時計に多くのファンをもつが、現在ブランドは休止している。

 

アランさんらしい平和のモチーフ
本文内に登場する鳩をモチーフにした2004年発表のモデル「トゥールビヨン・オートマティック・ブルーホープ」。アラン・シルベスタインの作品には、トゥールビヨン搭載モデルが多いのも特徴だ。こちらは日本には未入荷だったようだ。 写真/松山 猛

 

アラン・シルベスタインは1990年代に、時計世界のピカソと称賛され、カラフルで愉快な時計を数多くデザインして人気となった、フランスの時計デザイナーだ。そのデザインには、バウハウス風のイメージを取り入れ、それまでの時計には見られなかった、針や竜頭などに赤、青、黄などの原色を用いた、ウルトラモダーンな時計スタイルを確立し、デザインを愛好する人々を魅了したのだった。

彼の存在を僕が知ったのは、1980年代の終わり頃で、ようやく機械式腕時計復活の兆しが見え始めた時代の事だったと思い出す。

今はモントレ・ソルマーレと改名したが、当時は太洋商会という社名だった輸入時計代理店の山崎 剛社長が、そのデザイン性あふれる腕時計の将来性にかけ、積極的に日本の市場にアピールを始めていた時期だった。

初めてバーゼルフェアの、アラン・シルベスタインのブースを訪ね、アランさんに話を聞いた時の事だ。「最初にバーゼルに出展した1987年の時、ジャン-クロード・ビバー氏が訪ねてきてくれて、私の時計を見て、『面白い時計ですね、頑張って時計の世界を楽しませてください』、と励ましてくれたんですよ」

当時ブランパンにいたビバー氏もその数年前の1984年のバーゼルに、ムーンフェイズ・トリプルカレンダーモデルをたった一本出品して話題となっていた。機械式時計の世界を、自分とは異なる手法で、きっと盛り上げるだろう新しい才能の登場を、彼も喜んでいたに違いない。「最初の年は三本の時計を出品しましたが、それほどの反応がなかったのでがっかりしかけたのですが、山崎さんがとても関心を持ってくださり、日本での展開が始まったのでした」

あの時代、イタリアと日本の時計マーケットは、トレンドをリードする二つの国だったように思う。ともにデザインに対する審美眼に優れ、機械式への関心が高く、時計世界の未来を占うショーケースだと見られていたのだった。イタリアと日本が認めると、東南アジア諸国や、やがて成り行きを見極めたアメリカやヨーロッパのマーケットが動き出すというパターンが確かにあったのだ。

アランさんの時計は、三角形の赤い時間針、青色の長方形の分針、秒針はくねくねと曲がった黄色のサーペンタイン型と、特徴的なものが基本で、時計の機能に合わせて様々なバリエーションがあった。

海をテーマにしたものでは、ヒトデの形をした日付けの針があしらわれるなど、いつもワクワクさせられるデザインがそこにはあった。また、トゥールビヨンのブームにもいち早く反応したブランドとして、数々のファンタジックな物語性のある時計がデザインされ続けたものだった。

僕が欲しいと思った時計の一つは、2004年に発表された平和のシンボルである鳩をモチーフにした一本。ブルーの文字盤に大きく白鳩が描かれ、その鳩がオリーブの葉を咥えて飛翔している。おぼろげな記憶をたどれば、この2004年はギリシャでオリンピックが開催された年だったから、このモデルはきっとオリンピック開催を記念して作られたものに違いない。群れを成す性質から、鳩やオリーブははるかな昔から、仲良く共棲する平和のシンボルとされてきたのだが、アラン・シルベスタインらしいすっきりとしたデザインにまとめ上げていた。

アラン・シルベスタインは1950年パリに生まれ、1973年にパリのフランス国立高等応用学校で学び、卒業後はインテリアデザイナーとしてキャリアを積む。時計をデザインし始めたきっかけは、1985年に愛用していたクロノグラフが故障してしまい、それに代わる自分らしい時計をと、いろいろ探してみたが、これと思えるものがなく、それなら自分でデザインしてみようと考えたからだと聞くのだが、まさにその閃きが、独特の時計デザインの世界の原点となったのだ。

パリ育ちらしさは彼のファッションにも表れていて、ある年のバーゼルで会った彼は、アルニスのフォレスティエールを着ていたのだった。しかもそれは黒いレザーを用いた特別なもので、同じくアルニス党である僕は、そのファッション感覚を好もしく思った。「良いものを作る人は、良いものを選ぶ」のだと。

ちなみにフォレスティエールというスタイルのジャケットは、スイス生まれの建築家ル・コルビュジエことシャルル-エドゥアール・ジャヌレ-グリが、仕事がしやすいようにとアルニスと相談して誂えたジャケットのスタイルである。そしてまたコルビュジエという人は、スイスのラ・ショー・ド・フォンに生まれ、その町の工芸学校でポケットウォッチのデザインなどを学んだ経歴の持ち主である。時計を取り巻く世界に生きる人々の、こうした様々なつながりを知るのは面白いものだ。

2004年にアラン・シルベスタインがブザンソンにアトリエを構えたと聞き、さっそくモントレ・ソルマーレを通じて取材を申し込み、快諾してもらった。ブザンソンというフランシュコンテ地方の中心都市は、スイスのジュラ地方にも近く、フランスにおける時計産業の街として発展してきた。

フランスにおける時計産業は、古くはブロワやパリで時計が作られ発展したが、やがてポケットウォッチから腕時計の時代となり、リップ社などにより量産化が図られるようになると、スイスに近い地の利などから、ブザンソンがその座を譲り受けたというわけだ。時計学校も作られ、今ではスイス以上に多くの卒業生を輩出し、スイス時計の修理を請け負う工房もここにはたくさんあり、時計の世界を下支えする大切な土地なのである。

アラン・シルベスタイン工房は、蛇行するドゥー川によって囲まれた、旧市街の公園に面した一角にあった。1970年代のクォーツ・ショック以前には、スイスの時計産業の街と同じく、様々なサプライヤーや、時計会社の工場などが軒を連ねていたというが、その後の衰退は激しく、すっかり様変わりしていた。あの時代アラン・シルベスタイン工房の新設は、新たな希望の光を灯したといえるだろう。

明るいアトリエには、コンピュータを使って設計する人や、時計を組み立てる時計師など、少数精鋭のスタッフが、アランさん夫妻を中心として働いていた。昼時となり、アランさんが予約しておいてくれたレストランに出かけた。「取材続きでお疲れでしょう。美味しいものを食べて元気をつけてくださいね。ここのフォアグラの前菜はおすすめですよ。ダイエットは明日からと、僕と妻は美味しいものを食べるたびに言っているんです」「ダイエットは明日から、とはいいですね。僕もこれからそう言うことにします。なので、僕と家内もフォアグラをいただきましょう」

アランさんも恰幅が良いタイプだから、なんだか親しみがわく。彼は若い頃からカンディンスキーやパウル・クレーの絵画が好きだったとかで、その影響を受けたデザインをするようになったという。どちらの画家も明快な色彩を自在に操る、抽象画の先駆者であり、青騎士派というグループを結成し、ともにドイツでバウハウスが設立されると教鞭を執り、多くの後輩に影響を与えた現代絵画の巨匠である。そしてアラン・シルベスタインほど、バウハウスのデザイン原理を消化し、自分のデザインとして表現したデザイナーは他にはいない。

フォアグラと鴨料理のランチをいただきながら、ブザンソンの時計産業の歴史についても聞いていると、ここには有名な時計博物館と、もう一つの見ものとして、サン・ジャン教会のカテドラルの中にある、複雑な大型天文クロックがあるから、ぜひ見に行くようにと教えてもらった。

次の日にそこへ出かけてみると、なるほどそれは数多くの文字盤を持つアトミック・クロックなのだった。ブザンソン標準時刻のほか世界各国の時刻、月相を示すムーンフェイズ、プラネタリウム、カレンダー、潮の満ち引きの表示など、ありとあらゆる天文と時を示すクロックである。

またブザンソンの時計博物館には、有名な“ルロワ01”という、超絶に複雑なポケットウォッチが収蔵されているので、それもまた見に行って感動した。この時計はグレーブスとパッカードが複雑時計を競った時代より少し前に、あるポルトガル人が、パリの時計師ルロワに注文したもので、様々な複雑機能を備えたウルトラ・コンプリケーションである。

アランさんも故郷のパリを離れ、この時計の街に落ち着いて、時計作りに精進していたのだが、2008年からバーゼルワールドへの出展を取りやめ、その後は世界の取り扱い会社と手を組んでの新作発表をするようになったが、残念なことに2012年くらいに製作活動を休止してしまった。詳しいことはわからないのだが、ある大きなマーケットとの取引がキャンセルになり、そのダメージが大きかったと聞いたことがある。さらにその頃体調を崩したのも、製作意欲に影響してしまったに違いない。その後はロマン・ジェローム社の時計デザインに参加するなどしていた。

せっかくの独特な世界が休止しているのは残念だが、彼が残したマスターピースの価値は、時計業界の金字塔の一つとして語り継がれるだろう。アラン・シルベスタインの時計を持っている人は、ぜひ大切に使い続けていただきたいと思う。

アラン・シルベスタイン時計の再評価はかならず起きると思うのだ。

 

見た目も楽しいダイバーズ
200m防水のダイバーズクロノ「マリン・クロノ」は、海のモデルらしいヒトデ型のスモールセコンドが楽しい。針の色・形を全部変えたアラン・シルベスタインらしいデザインに、ブランドを象徴するニッコリマークのスマイルデイがユニーク。販売は終了。

 

[時計Begin 2019 WINTERの記事を再構成]
文/松山 猛