2020.10.15

【受け継ぐ時計】アルピニスト・野口 健さん「ロレックス、セイコー、IWC……冒険家を彩る時計物語」

二人の“父”から、そして娘への贈り物

アルピニストにして社会貢献活動でも知られる野口 健氏。なんと野口氏には二人の“父”がいた⁉
二人からの贈り物とは。そして、アルピニストとしてのキャリアをスタートさせた愛娘の絵子さんとの次なる挑戦の際に、二人で着けたい時計とは。野口家のストーリーを時計が紡ぐ。

IWC「ポルトギーゼ・F.A.ジョーンズ」は、野口氏が2006年に一目惚れし、翌’07年のエベレスト登頂直後に最終キャンプから予約の電話を入れて購入したモデル。これがIWCの目に留まり、シェルパ基金モデルをはじめとする、その後の絆に発展する。

Ken Noguchi(野口 健)

のぐち・けん/アルピニスト。1973年アメリカボストン生まれ。立教英国学院高校在学中、冒険家・植村直己氏の著書『青春を山に賭けて』に出会いアルピニストを志す。’99年エベレストを制覇し、7大陸最高峰登頂の当時の世界最年少記録を樹立。2000年からエベレスト清掃登山、富士山清掃登山をスタート。’01年ネパールのシェルパ族の登山ガイドが遭難した際、遺児教育支援を行うシェルパ基金を設立。最近では、COVID-19によって危機に直面する世界に向けてメッセージを発するIWCのプログラム「タイム・ウェル・シェアード」に愛娘の絵子さんと参加。様々な社会貢献活動に取り組んでいる。

 

“山の父”曰く「自分たちはバッシングされるためにいる」

父親の愛機はサウジ国王の名前入りロレックス

親父は中東担当の外交官でした。現在の上皇さまが皇太子時代に、サウジアラビアを訪問され、まだ30代だった親父も同行しました。そのとき、サウジの王様の名前が文字盤に入ったロレックスが、随行員に配られたそうです。「さすがサウジは違うな」と言っていましたね。学生時代に「ちょうだいよ」と言ったら「国王から頂いたものを、お前にやれるわけがない」って。でも「お前が結婚したときにやる」と。

2003年に結婚式を挙げた後、親父の家に呼ばれて「結婚したんだから、これを着けろ」と渡されました。やっとそのときが来たなと思ったんですが、なかなか着ける機会がない。まだ金時計が似合う年齢じゃないような……。’07年にアジア地域の水害対策を話し合うアジア・太平洋水サミットという国際会議でスピーチをしたとき、初めてこの時計を着けました。各国の要人や、皇太子時代の今上陛下もいらっしゃる場でしたから。後にも先にも、その1度だけ。親父とご飯を食べに行くと「俺の時計着けてないだろう」と言われますが、「居酒屋に着けていく時計じゃないよ」と返すと、「俺はいつも着けてたぞ、ラーメン屋でもどこでも」なんて言ってましたね。

1999年にエベレストに初登頂して、日本隊のゴミが多いことに気付かされ、翌年エベレスト清掃登山を始めるんですが、その前に日本の山岳会から、日本隊のゴミのことをあまり表に出したくない、できれば清掃活動をやって欲しくないという動きがありました。ちょうどそのタイミングで、元首相の橋本龍太郎先生から手紙が来ました。龍太郎先生は、名誉隊長としてエベレストに何度も行っている山岳界の重鎮でしたが、当時は面識がありませんでした。手紙にはこうありました。

《君のエベレスト清掃は素晴らしい。ただ、僕が行ったときには、前年のイタリア隊のゴミに助けられました。》

「僕に釘を刺す気だな」とアタマに来て、エベレスト清掃で橋本隊が残していったゴミの酸素ボンベを見つけて日本に持ち帰り、それをカバンに忍ばせて先生に会いに行ったんです。最初「君、何しに来たの?」って顔でしたが、30分ほど歓談した後、「実は12年前の先生の忘れ物を届けに参りました」と、ボンベを取り出すと、すぐに僕の手から奪い取りましたね。顔色が変わって、怒るかなと思ったら、スッと立ち上がって「確かにこれは我が隊のものです。誠に申し訳ありません」って言ったんですよ。驚きましたね。先生は、そのボンベを事務所の応接室に置いて、いろんな取材のときに、その話をするわけです。それが記事になって、結構バッシングされたり。僕は「あちゃー」と思って「龍太郎先生のイメージが悪くなるから、あの話はこれ以上しないほうが」と言ったら、「自分はバッシングされるためにいる。バッシングされれば、今後エベレストに行く日本隊はゴミを捨てられなくなるだろう」って、カッコいいでしょう!! それから長い付き合いが始まったんです。

2006年に亡くなられた後、息子さんから譲り受けたのが、先生が国際会議などで着けていたセイコーの時計。「父は忙しくて、どこか怖かったし、喋ることもあまりなかった。野口さんが父とご飯に行ったり、酒を酌み交わしたりするのが、実の父子以上に見えて、羨ましかった」と。龍太郎先生の墓は、東京と地元の岡山と、ヒマラヤにも分骨されています。その3ケ所に僕は毎年お参りしていますよ。

実父からのロレックスと"山の父"からのセイコー
(右)外交官だった父・雅昭氏がサウジアラビア国王から下賜された、国章と国王の名入りロレックス。小振りなゴールドケース、手巻き。(左)”山の父”と呼ぶほど親交があった橋本龍太郎元首相愛用のセイコー「38系クオーツQT」。1970年代、GSに負けないステータス性を誇った高級・高精度モデル。

 

Äsl355Äslmult0 「時計を見ると冒険のシーンが甦る」Äb0

愛娘の6000m挑戦で着けたいペアウォッチ

IWCの「F.A.ジョーンズ」に一目惚れしたのは2006年のことでした。懐中時計っぽい外観に、すごく癒されるものを感じて。それまでIWCのことはそれほど知らなかったんですが、有名ブランドでも何年か経つと修理を受けてくれないケースがある中で、IWCはいつでも必ず直します、と言っている。それなら子どもや孫にも受け継げる、と思ったんです。この時計がご縁となり、’08年には僕のシェルパ基金活動を支援して頂く「インヂュニア」も誕生しました。

基本的に冒険家は時計好きですよ。山で身に着けられるものが限られている中で、時計は相棒的なところがある。特に機械式時計は生き物のように感じます。山では何時にどうすると決めて行動することが多いので、時計は絶えず見ているし、テントでず~っと時計を磨いていると無心になれて落ち着くんです。大きな挑戦のときに山に着けていった時計を見ていると、いろんな冒険のシーンが甦ってきますし。

娘の絵子にとって、父親はよくわからない存在だったようです。あんまり家にいないし、帰ってくると顔が凍傷だらけだし。小4のときに「山に行ってみるか」という話になったんですが、彼女からすると父親が何者なのかを知るために登り始めてるんですよ。

昨年、彼女とキリマンジャロに登りました。そうしたら「今度はエベレスト」と言い出した。「その前にヒマラヤの6000m級をいくつか登ってからだね」と、今春計画していたんですが、新型コロナの影響で延期せざるを得なかった。でもこの状況が落ち着いたら行けるでしょう。そのとき、着けて行きたい時計がIWCの深いブルー文字盤のパイロットウォッチ。ヒマラヤの空の色って、宇宙に近い濃いブルーなんです。そのイメージとピタっと重なった。自分用にはクロノグラフ、絵子には小さめの3針を選んでいます。6000mは、彼女にとってかなり過酷な挑戦になると思います。行く前の不安、登ったときの感激、下山中の恐怖……いろんなドラマが山での1ケ月の中にあるはずです。生涯忘れることができない経験を、この時計が思い出させてくれることにもなると思っています。

昨年、15歳になった絵子さんと標高5895mのアフリカ最高峰、キリマンジャロ挑戦の際の1枚。絵子さんの初登山は小4の2月。吹雪の八ヶ岳で「していい無理と、しちゃいけない無理」を学び、山に開眼、野口氏にキリマンジャロ挑戦を申し出る。特訓に次ぐ特訓を経て、昨年念願を果たし、エベレスト制覇も視野にまずはヒマラヤ6000m峰を目指す。「アルピニストになれとは全く思わない。本気で遊んで、変な生き方をして欲しい」

IWC インヂュニア オートマティック 野口健シェルパ基金モデル
2008年に日本限定200本で発売。シェルパ族の登山ガイド遺児の教育費約10年分が、その売り上げから寄付された。野口氏は登山や清掃活動の際にも愛用している。「傷が似合い、味になる稀な時計」だと言う。生産終了。

IWC パイロット・ウォッチ・クロノグラフ"ブルーエンジェルス"
2020年新作。米海軍所属のアクロバット飛行隊ブルーエンジェルスの公式認定モデル。「深いブルー文字盤がヒマラヤの空を思わせる」と、野口氏は愛娘と共に次回6000m峰に挑む際の同行モデルに選択。自動巻き。径44.5㎜。セラミックケース。125万円。問い合わせ:IWC

IWC パイロット・ウォッチ オートマティック 36
6000m挑戦時に絵子さん用に野口氏が選んだモデル。深いブルー文字盤のパイロット・ウォッチでペアを組む。「登頂日や何かメッセージも裏蓋に刻印したいですね」と野口氏。自動巻き。径36㎜。SSケース。51万円。問い合わせ:IWC

<b>IWC インヂュニア オートマティック 野口健シェルパ基金モデル<br /></b>2008年に日本限定200本で発売。シェルパ族の登山ガイド遺児の教育費約10年分が、その売り上げから寄付された。野口氏は登山や清掃活動の際にも愛用している。「傷が似合い、味になる稀な時計」だと言う。生産終了。
<b>IWC パイロット・ウォッチ・クロノグラフ"ブルーエンジェルス"<br /></b>2020年新作。米海軍所属のアクロバット飛行隊ブルーエンジェルスの公式認定モデル。「深いブルー文字盤がヒマラヤの空を思わせる」と、野口氏は愛娘と共に次回6000m峰に挑む際の同行モデルに選択。自動巻き。径44.5㎜。セラミックケース。125万円。<strong>問い合わせ:</strong>IWC
<b>IWC パイロット・ウォッチ オートマティック 36<br /></b>6000m挑戦時に絵子さん用に野口氏が選んだモデル。深いブルー文字盤のパイロット・ウォッチでペアを組む。「登頂日や何かメッセージも裏蓋に刻印したいですね」と野口氏。自動巻き。径36㎜。SSケース。51万円。<strong>問い合わせ:</strong>IWC

 

[時計Begin 2020 autumnの記事を再構成]
写真/山下亮一 文/まつあみ 靖