2021.08.01

スポーツ計時における最高峰。オリンピック公式タイマー【おたくの細道】

毎度マニアな時計の情報を届けるこのコーナー。今回は、1964年東京オリンピックで公式計時を務めたセイコー。国産時計で初めての重責を担った裏側にそんな物語が?

 

スポーツ計時における最高峰
オリンピック公式タイマー

 

クリスタル
クロノメーター
QC-951

1/10秒計測
機械式ストップ
ウォッチ

 

「世界最速の男」をとらえろ!
セイコー社出身の”時の研究家”が、自らの体験を踏まえつつ、驚くべき「スポーツ計時」の歴史と進化、最先端の世界を紹介。織田一朗(著)。草思社。1760円。

自力で勝ち取った日本初のオリンピック公式計時

東京2020オリンピックが目前に迫ってきた。現時点では開催されるかどうか微妙なところだが、本誌の出る頃には何かしらの決定が下されているだろう。東京オリンピックの開催は今回で2回目。前回は1964年の第18回大会。その開催は’59年のミュンヘンIOC総会で決定している。大会のスローガンは「科学のオリンピック」「国産品によるオリンピック」だったこともあり、オフィシャルタイマー(公式計時)は国産時計のトップであるセイコーに白羽の矢が立った。

今でこそ世界のセイコーだが、当時は世界でのブランド認知は低く、いまだ先の戦争で被ったダメージからの復興途上にあった。しかも、スポーツ計時の経験や知識など全くない。公式計時の条件は、前年’63年の東京プレオリンピックで各競技連盟を納得させる結果を出し、認証を得ること。わずか3年余りでスイス並みの製品の開発は果たして可能なのか?という疑問が社内中に渦巻いていた。

社内で何度も議論を交わすものの、結論が出ないことに業を煮やしたのが、同社の3代目社長・服部正次である。”スイスに追いつけ、追い越せ”を合言葉に、企業を急成長させていた正次は、オリンピックへの参加がさらなる成長につながることを見抜いていた。ワンマンでせっかちだが、竹を割ったような性格。正次はある会議で「これ以上いくら話し合っても時間の無駄。私はやると決めている」と言い放って席を立った。このツルの一声で公式計時への挑戦が決まったという。

まずセイコーは「科学のオリンピック」にふさわしく、次世代の時計と目されたクォーツ時計の開発に着手した。すでに同社は’58年、放送局用のクォーツ時計を開発していたが、IC(集積回路)ではなく真空管を使用したため、大型ロッカー並みのサイズだった。そこで新たに水晶発信器と小型モーターを開発し、真空管の代わりにシリコン型トランジスターを採用することで大幅な小型化を実現。さらに電気コードが不要で乾電池で動き、1日の誤差が0・2秒以内の高精度ながら百科事典一冊ほどのサイズで、どこにでも持ち運べる世界初のポータブル型クォーツ時計「クリスタルクロノメーターQC‐951」を完成させたのである。

また、電子計時システムの開発を行う一方、1/10秒計測が可能な機械式ストップウォッチの改良にも取り組んだ。従来の製品はどうしても1秒以下の数字にばらつきが生じる。原因はテンプが始動する際に、最初の一振りがばらつくから。この解消のために研究を重ねてたどり着いたのが「ハートカム」。テンプの軸にハート型のカムを備えることで、テンプは必ず同じ区切りの位置で停止し、同じ状態から動き出す。かつテンプの停止位置は機械自らが四捨五入し、目盛りの上で止まる工夫も。

62年に完成したこの製品は、国際陸連の技術委員会に持ち込まれ、0・1秒単位まで正確な計測結果を見た委員に「いったいどういう技術なんだ?」と言わしめた。事実上、国際陸連の認証を得た瞬間だった。

器材の開発にはセイコー全体で85名の技術者と890名の作業員が携わり、その当時で約2億円の費用を注ぎ込んで36機種、1278個の時計および表示装置を製作。オリンピック組織委員会は「着順・競技時間に関してのクレームが発生しなかった初めてのオリンピック」とこの大会を総括した。

このとき開発した技術がその後、世界初のクォーツ腕時計の誕生につながったのが明白なように、公式計時は企業の技術力を必ずや底上げさせる。今回は残念ながら他国のメーカーが担うが、いつか公式計時も国内の”完全な”日本のオリンピックが開催されることを願いたい。

 

[時計Begin 2021 SUMMERの記事を再構成]