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2021.02.05
【受け継ぐ時計】週刊プレイボーイ伝説の元・編集長 島地勝彦さん「”オメルタの掟“としての腕時計」
ロンドンで出会ったクロノマチックが、西麻布の運命を呼んだ?
〝オメルタの掟〞としての腕時計
軽妙な語り口の中に、警句や箴言が次々と飛び出す。『週刊プレイボーイ』伝説元・編集長、島地勝彦氏。最近はエッセイ等で健筆をふるう一方、バーマンとして自身のサロンにも立つ。「時計には執着がない」と言いながら、不思議な縁を繋いだ時計を巡るストーリーに、ダンディズムの求道者にして、愛すべき希代の〝人たらし〞の横顔が垣間見える。
時計に執着しない男がなぜかピンときた1本
最初に腕時計を親父に買ってもらったのは中学の入学だったか、高校だったか……。あんまり覚えてないね。オメガやカルティエの「タンク」を持っていたこともあったけど、自分には合わないなと思って誰かにやっちゃったし。時計に執着がないんですよ、申し訳ないけど(笑)。
67歳で会社をリタイアしたとき、退職金で何か買おうと思って、そのとき手に入れたのが、ドゥグリソゴノ。角型でジャンピングアワーとデュアルタイム機能のモデル。ローマ在住の塩野七生さんによく電話していたから、東京とローマの時間にして使っていた時期もあったなあ。でも、昔からスポーツカーとか時計には、あんまり興味がなくてね。時計を持つと時間に縛られるような気がするんですよ。
僕が一番金を注ぎ込んだのは、葉巻とウィスキー。葉巻は25歳から。担当していた柴田錬三郎先生から、キューバン・ダビドフの味をさんざん教わった。ウィスキーは蒐集していた450本を今、自分の店で出してますよ。アイラ島のポートエレンのファーストからみんな揃ってるバーなんて、他にないでしょう。
どんなに高いウィスキーだって、飲んでしまえば、いずれ東京湾に流れていく。葉巻の煙も、たちまち消えてなくなる。自分がこの世から去って、そのあとに残るものって、なんか虚しいじゃない?消えていくものにロマンがあるよ。女性もそうでしょ(笑)。
でも30年くらい前に、なぜかロンドンでピンときて買った時計がひとつあってね。オーセンティックなオシャレのことは、ロンドンでいろいろ覚えたし、アンティークショップにも、珍しいものを求めてよく行ったな。
そのときも格式ありそうなアンティークショップに入ったら、たまたま目に留まったのがブライトリング。左リューズが珍しいなと思ったし、コンディションもよくて、裏蓋にイラク空軍の紋章が刻印されていて。店主が言うには、イラク空軍のパイロットが、ロンドンの街なかのカジノでスってしまい、質屋に売ったんだろうと。
それが巡り巡って、そこに並ぶことになったらしい。当時、日本円で20万円以上したと思う。でもやっぱり時計に対して、そんなに情熱がなかったし、ちょっと重いなと思って、書斎の片隅で長いこと埃を被っていた。ところが、これに目を付けた男がいた。それが今、このカウンターの中にいるチーフバーマンの松本一晃だったんです。
松本との出会いは、12年前の岩手県一関市。この街は僕の疎開先で、4歳から18歳まで住んだから懐かしくてね。いいゴルフ場もあるから、よく仲間を引き連れて行っていた。夜は、決まって一関で一番カッコいいバー「アビエント」。そこのオーナー・バーテンダーが彼だった。何回か通ううちに話すようになったら、実家が旅苑松本っていう、僕らの定宿だったんだよ!1週間くらいそこに逗留して、「アビエント」に毎晩なんてこともあったね。
「消えていくものにロマンがある。酒も葉巻も」
「いいものは全部、仲間に渡したい」
時計を託し、いずれはバーも任せたい
67歳で会社を引退して、それからエッセイの連載をいろんなところでやっていたら、71歳のとき、当時の三越伊勢丹ホールディングスの大西社長から、僕のセンスで選んだ品物を売るブティックをやって欲しいという話を頂いてね。でも71歳で店員として立つのもなんだか自分が不憫だから「バーを作ってください」とお願いして、伊勢丹新宿店で「サロンドシマジ」を始めたわけだ。ウィスキー、葉巻、ガルーシャで作ったアクセサリーやドクロの指輪も置いていた。〝メメント・モリ(死を思え)〞っていう言葉が大好きだったから、昔からドクロの指輪はたくさん持ってたね。
そのバーを立ち上げてちょっとしてから、松本が手伝いに来てくれるようになったんだよ。一関の自分の店をわざわざ休んで、交通費も自腹、滅私奉公同然で。ある日、我が家に遊びに来たとき、例のブライトリングが時計好きの彼の目に留まった。「もしよかったら、これ売ってもらえませんか」と言うんだ。世話になっていたから、お返しにあげちゃってもいいなと思ったんだが、その場では「そうか、欲しいのか」って言っておいて、しばらく経ってから、古くなっていたベルトをガルーシャに新調して「これお前にやるよ」って渡しましたよ。「いいんですか⁉」って驚いてたね。
「その代わり、俺の言うこと何でも聞けよ」って。〝オメルタの掟〞だよ、マフィアが交わす〝血の掟〞、絶対服従のしるしだよって(笑)。2020年3月に伊勢丹の「サロンドシマジ」をクローズすることが決まって、西麻布で新たに自分のバーを始めようと動き出した。
松本にも「4月くらいに開けるんで、手伝って欲しい」と連絡したわけよ。彼も自分の店があるから「とりあえず最初は行きます」と言ってくれたんだけど、「どうせなら1ヵ月くらい来てくれ」から、「東京に住んで俺の人生最後のわがままに付き合ってくれ」と言っているうちに、とうとう「分かりました」って答えが返ってきた。〝オメルタの掟〞だよ。
4月に一旦オープンしたんだが、コロナのことがあってしばらく休んで、6月から本格的にスタートした。内装は映画美術を手がけるヌーヴェルヴァーグという会社がやってくれた。
79歳にもなってオープンするわけだから「ピカピカの新しいところは嫌だ、50年くらい時間が経ったように作って欲しい。僕自身がアンティークだから」とお願いしたら、見事に作ってくれましたよ。こんな凄いハコを作ったから、自分が死んでも文化財として残してもらいたい。僕が死んだら、このバーは松本に受け継いでもらう。松本の次は、伊勢丹のときからの相棒の廣江に託す。パイプでも時計でもバーでも、いいものはなんでも、気心の知れた仲間に全部渡したいね。
でも、まだ頑張りますよ。来年、傘寿だけど百まではやれると思うね。
[時計Begin 2021 WINTERの記事を再構成]
写真/谷口岳史 文/まつあみ靖