受け継ぐ時計「時計が描き出す人生のビジョン／Daniel Lazar（ダニエル・ラザー）」

父から贈られたIWCの金時計、息子へのクロノグラフ

“今までにないものを作る”。そのコンセプトを掲げ、斬新かつクリエイティブでラグジュアリーなモデルを提供しているブランド、ティレット。そのCEO兼創設者のダニエル・ラザー氏が、父親から贈られた時計に込められた想いと現在のビジョンを語る。

Daniel Lazar（ダニエル・ラザー）／旧ソ連に生まれ、17歳の時、家族でニューヨークに移住。ジュエリーのカタログ製作を経てジュエリーデザインを手掛けるように。1999年にウォッチブランド「アクアマスター」を立ち上げ、SSケースにダイヤモンドをセットした、かつてないモデルで人気を博す。これをきっかけに、ジェイコブ・アラボから誘いを受け、「ファイブタイムゾーン」ほかヒット作のデザインを手掛ける。2004年独立し、ヒップホップ界の大物デイモン・ダッシュとともにティレットを設立。

価値あるもので未来像を描かせる父の教育方針

出身は旧ソビエト連邦、現在モルドバ共和国の首都になっているキシニョフです。ルーマニアに隣接していて、ルーマニア語を使う地域なんです。

父はこの街にあった革のコートやジャケットを製造する工場で、責任あるポジションに就いていました。国内向けではなく、外貨を稼ぐための輸出用。そのおかげで、恵まれた環境で育ったと思います。

当時のソ連では絶対に手に入らないような外国製のタバコ、ジーンズ、チューインガムといったものはもちろん、車１台を手に入れるのに９年かかると言われていた時代に、我が家には車が３台ありましたから。兄弟のために、自宅とは別にアパートも持っていたり、という具合でした。

そんな父が、私の13歳の誕生日にIWCの金時計をプレゼントしてくれたんです。ソ連時代には、腕時計なんて、海外に出かける政府の要人でもなければ、手にすることすら叶わなかったものです。父は、価値あるものを贈ることで、今後どんな勉強をして、どんな人物になろうか、というビジョンを考えるきっかけを、私に与えようとしたようです。

父から贈られた金時計
IWC
13歳の誕生日に、父ユーリ氏からプレゼントされたＩＷＣの時計。当時のソ連では入手困難なものだった。現在のティレットの時計とは全く趣の異なるものだが、この時計を契機に、人生のビジョンを描き、ティレットに辿り着いたことを思うと、感慨深いものがあるという。オフィスの金庫から取り出し、日本まで携えてきてくれた。

「13歳の誕生日にもらったIWCの時計が人生のビジョンを描かせてくれた」

父は革製品の他にも、ゴールドのチェーンを作る工作機械を調達して、ネックレスなどのジュエリー製作のビジネスも手掛けていました。私が13歳に価値あるもので未来像を描かせる父の教育方針なる以前から、父は金のネックレスをプレゼントしてくれていました。それも幼い頃から、価値のあるものを与えて、将来のビジョンを描かせるという、父の教育方針だったんです。

そのおかげで13歳の私は、貴重なもののひとつとして、既に時計への関心が芽生えていました。その時計を贈られた時、すごく誇らしくて、大人になったような気がしましたし、信用してもらって強い気持ちを持てたことを覚えています。

貴重な時計ですから、友達とサッカーをする時に着けるわけにはいかないでしょう。誰かの結婚式だとか、何かのセレモニーで両親と一緒に外出する時だけ着けていました。

今はオフィスの金庫に保管しています。大人になってからは、身に着ける機会は少なくなってしまいましたが、10年ほど前に亡くなった父の思い出として大切にしています。人生で初めてもらった時計だったので、あの嬉しさとか、誇らしい気分は、この時計を目にすると、やはり甦ってきますね。

この時計を通して、旧ソ連の体制下で“誰もが欲しがっていながら、手に入らないもの”に対する価値観、また自分の子どもたちをサポートできるよう、必死で働くことの大切さを学び、それが現在の自分のベースになっていると思います。

ニューヨーク移住で受けた衝撃

それまでと生活が一変したのは、17歳の時でした。家族でニューヨークに移住することになったのです。ペレストロイカ以前ですが、その当時は誰でもチャンスがあれば移住したいという希望を持っていたのではないでしょうか。

ニューヨークに着いて、とにかく超高層ビルに圧倒されたのを、今でも鮮明に覚えています。ビルを見上げながら、本当に空まで続いているんじゃないかと思ったほどでした。街が喧噪に満ちていて、もの凄いパワーを感じました。

現在も生活の拠点はニューヨークですが、この3ヵ月でニューヨークに滞在したのは2週間ほど。あとは常に世界中を飛び回っています。だからニューヨークでのビジネスの成功というよりは、世界が舞台というイメージを持っています。どこの国に属しているのか、自分でもよく分からないですね。

移民の経験が、私のクリエーションに大きな影響を及ぼしているのは確かでしょう。生まれた街を一家で離れて、あまりにも環境の違う異国の地で生活し始める時の、期待と不安がないまぜになった、何とも言えない気持ちは、経験した人でないと分かってもらえないでしょうね。それがあったからこそ、知らないものに挑む時に、恐れを抱くことがなかったのだと思います。それが、ブランドコンセプトの“存在していたものは作らない”という姿勢につながっているんです。

スイスの時計関係者は、３００年以上続く時計の歴史をベースに話をします。けれども私は、未来に向かって、例えば23世紀を見ているようなつもりで、今までになかったものを作りたいと言っているんです。あまりにもビジョンが違うし、使う言葉も違うので、信じてもらえなかったり、乗り気になってもらえなかったりするという難しさはあります。でも、それを乗り越えたところに“存在していなかったもの”がある。ティレットを立ち上げて14年ですが、当初の目標はある程度達成できたかもしれません。でもゴールはまだ先にある。今後は時計以外のアイテム展開を広げ、ライフスタイルブランドとして確立させたいですね。

ヒップホップアーティストからも強力な支持を得たティレット。「でもヒップホッパーテイストを意識したことはない。特定のカスタマーやマーケットを意識すると、結果的に世の中の興味を引かない。もっと高いポジションを目指すことが重要」

父と同じ思いを込めて息子に渡す時計

今、11歳の息子と4歳の娘がいます。息子は、もうティレットの「オートマティック クロノグラフ」を欲しがっていますよ。彼が大好きな従兄をはじめ、親戚の人が着けているのを見ていますから。あと2年経って13歳になった時に渡せるように、保管してあります。初めての高価な贈り物ですから、私が父からIWCの時計をもらった時と同じように、メッセージを込めて息子に渡したい。世の中やビジネスの仕組みとか、お金の価値とか、働いて稼ぐことの大切さとか、彼の将来にプラスになることを伝えたいと思っています。当面は、この時計をもらったんだから、サッカーだけじゃなくて、勉強も頑張りなさい、と言わなくちゃいけないでしょうが（笑）。

「息子に渡す時計にも将来へのメッセージを込めたい」

ティレット オートマティック クロノグラフ
息子に手渡す予定のブランドの代表作
ティレットを牽引する主力モデルのひとつである「オートマティック クロノグラフ」。息子のマックス君が、2年後、13歳になった時に贈るために保管している。自動巻き。径47mm。SSケース。130万円。問い合わせ先：ティレット／ビックグローブ Tel.03-3401-8006

[時計Begin 2018 WINTERの記事を再構成]
写真／山下亮一　文／まつあみ 靖