2018.07.18

松山 猛の「時計業界偉人伝」Francois-Paul Journe(フランソワ-ポール・ジュルヌ)[後編]

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本当に時計というものの機構に深い理解を持つ人だけが、彼の時計の最初のファンとなった

パリで出会ったとき、彼は「フランスの時計の歴史をもっと知ってほしいと思う。もし興味があるなら、アール・エ・メティエ(工芸技術博物館)に行って、天文時計のアンティード・ジャンヴィエやマリン・クロノメーター作者のフェルディナン・ベルティエの時計を見るといいよ」と教えてくれた。それらフランスの時計師の仕事から、彼もたくさんの影響を受けてきたに違いない。

それにしても一見クラシックな時計に見えながら、実は時代を先取りして設計する、彼の時計作りは実に面白く興味深い。
しかしその分、武骨にさえ見えるデザインや凝りに凝ったそのメカニズムゆえに、なかなかその魅力が理解されないという一面もあるのだった。
だから、本当に時計というものの機構に深い理解を持つ人だけが、彼の時計の最初のファンとなったのであった。トゥールビヨンに始まり、2つのテンプがお互いに干渉し合って精度を高めるレゾナンス、そして様々なバリエーションを展開するオクタのシリーズ。高速回転しながら時間経過を計測するサンティグラフ。またそれまでの壊れやすい機構であったものを改良した、安全設計のリピーター・ウォッチと、その創造のエネルギーにはすさまじいものがあった。

やがて彼のブティックが東京に開かれるという話になった。
1990年代の終わり頃から2000年にかけての日本の時計マーケットには、世界でもトップクラスの購買力があった。また日本は、機械式時計に興味を持つ時計ファンが多い元気の良い国だった。
当初は丸の内あるいは銀座界隈に店が作られるという話もあったが、およそ2年後の2003年に世界初のジュルヌ・ブティックが開かれたのは、南青山の一画だった。
店を切り盛りするスタッフには、シーベル・ヘグナー社の時計部門にいた、僕にとっても旧知のTさんが選ばれた。時計に詳しい彼の努力もあって、東京のブティックは顧客を増やしていった。その後、香港、ジュネーブ、パリ、キエフと、直営店が世界各地に展開されていった。そしてジュルヌ・ファンがゆっくりと世界に増え続けていったのであった。

僕もそんなジュルヌ時計を欲しいと思った時計ファンの一人だった。
三文文士にはおいそれと手に入れられる金額ではなかったが、それを購入するために2年間小遣いを貯め、ようやく手に入れたときは、本当に嬉しくてならなかったものだ。そのとき僕は時計好きの人間として、時計を手に入れただけではなく、それを所有できるという誇りをも手に入れた気がしたのだった。
その時計はオクタ・シリーズのもので、プラチナケースを採用していた。トウールビヨンやレゾナンス、またムーンフェイズやデイ&ナイト表示のものなどいくつかのバージョンがあり、各々99ピースの限定生産品。ちょうどその年の僕の年齢と同じ№57の、デイ&ナイトの時計を選ぶことができた。
最初はオリジナルの黒いクロコ・ベルトを楽しんだが、やがていろいろな色合いのクロコ・ベルトが作られるようになったので、淡いグレーに付け替えてみた。この限定シリーズは、プラチナのケースに合わせてルテニウムによるグレー文字盤だったから、同じモノトーンのライト・グレーが良く似合うのだ。

今のジュルヌ製品はムーブメントの素材もゴールドだが、あの頃はまだブラス素材を用いていて、この限定バージョンはルテニウムコーティングを施してあり、自動巻きのローターは22Kのローズ・ゴールドだった。
高級な品質を保つためにも、ムーブメントをゴールドにするというのは、相当な自信に裏打ちされた決断だったろう。その分コストが掛かるから、販売価格が高くなる。それでも良いと納得してくれる人に、この時計を使ってほしいのだと彼は言った。
そしてこのおかげで、彼の時計はその価値を、いつまでも減ずることがないと言えるのだ。
今年の1月にジュルヌ本社に出かけたとき「もう我々が知り合って25年以上の月日が過ぎたんだね」と、彼も感慨深げに語っていた。
さて、世界第一号のF.P.ジュルヌ・ブティックが東京に開かれ、今年で15周年を迎える。それを祝うために、フランソワ-ポール・ジュルヌは来日するだろう。また彼と会うのが楽しみだ。そう、彼こそは現代時計世界の、偉人の一人と言ってよいだろう。

 

上/2000年製作の「ソヌリ・スヴレンヌ」。グランドおよびプチ・ソヌリ、ミニッツ・リピーター等を備える。1点のみの製作で現在はディスコン。下/1999~2004年まで製作された「トゥールビヨン・スヴラン」。ルモントワールを搭載した初の腕時計。

[時計Begin 2018 SUMMERの記事を再構成]
文/松山猛 撮影(人物)/岸田克法