2018.08.31

【英国発はこんなにスゴイ!】スプリングデテント脱進機

スプリングデテント脱進機

ジョン・アーノルドが新たなクロノメーター機構を開発

ジョン・ハリソンを追い、英国人時計師たちが競い合うようにマリンクロノメーター製造に参入。これにより新たな機構も生まれ、英国は完全に制海権を握ることとなる。

アーノルドとアーンショーが開発を競った「スプリングデテント脱進機」。ピボット(ホゾ)に代わり、スプリング(板バネ)を採用してより高精度に。

 

より安全な航海を保証する高性能脱進機

グラスホッパー脱進機を発明して、高精度なマリンクロノメーターを完成させたジョン・ハリソン。それとはまた別に、新たなクロノメーター作りに挑戦した者たちがいた。英国の時計師ジョン・アーノルドもその一人である。

アーノルドが最初のマリンクロノメーターを手がけたのは1770年頃。当初はフランス人のピエール・ル・ロワが発明した機構を参考にした。これは温度変化による誤差を補正するバイメタルの切りテンプのほか、ガンギ車が直接テンプと噛み合う構造をもつ脱進機であった。

アーノルドはその構造に改良を加え、板バネの弾力でガンギ車を正確に動かす「スプリングデテント脱進機」を開発。この画期的な発明により精度や品質がいっそう向上し、また良質な製品が大量に生産されたため、世界の海における英国の覇権争いに大きく貢献した。ちなみにこの脱進機は、同じ英国人のトーマス・アーンショーも同時期に製作しており、どちらが真の開発者かは決着がついていない。

 

発案した英国人はこの人

現行ブランドにその名を留めるマリンクロノメーターの名手

ジョン・アーノルド(John Arnold)

20代で工房を開き、複雑時計の修理で名を上げたアーノルド。その後は高品質なマリンクロノメーターのほか、天文時計などを手がけた。アブラアン︲ルイ・ブレゲと親交があったことでも知られ、彼の死後にはブレゲからトゥールビヨンが贈られている。また、息子のロジャーとともにアーノルド&サンを設立し、英国王室海軍の御用達メーカーとなり、一時は活動を休止するも1995年に復活した。

 

[時計Begin 2018 SUMMERの記事を再構成]
文/岡崎隆奈 イラスト/WADE LTD