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2019.04.01
天才時計師フランク・ミュラー氏が降臨、その時計観を語る
天才時計師が自身のキャリアを振り返りながら語るメッセージ
時間=ラグジュアリー、その極意
かねてより取材オファーをしてきたフランク・ミュラー氏との対面が、エキシビションのために訪れた秋の京都で遂にかなった! “天才”の名を恣にしてきたキャリアにふさわしい自信に満ちた風貌。そしてハスキーな声で、説得力のある語り口。彼一流の“受け継ぐ時計”観が、今、明かされる。
Franck Muller(フランク・ミュラー)
1958年スイス・ラ ショー ド フォン出身。’79年ジュネーブの時計学校を主席で卒業。時計修復を経て、自身の時計製作に乗り出すと「天才時計師現る」と一躍時の人に。’91年ビジネスパートナーとなるヴァルタン・シルマケス氏(現ウォッチランドグループCEO)と出会い、会社を設立。’92年自身の名を冠したウォッチ・ブランド、フランク ミュラーを立ち上げる。複雑機構のみならず、"時" に対する哲学を形にしたモデルなどで、常に時計業界をリードし続けている。この日は「ヴァンガード」を着用。
祖父からもらった時計で目覚めた好奇心
時計に興味を持つようになったのは、6歳の頃、祖父からもらった1本の腕時計がきっかけでした。よくあるラウンド型でしたが、祖父は「これは絶対に壊れない時計なんだよ」と、言っていたんです。昔の時計は、ちょっとしたことですぐに壊れたものでした。インカブロック耐震装置を搭載した腕時計が作られるようになるのは1940年代ぐらいからなので、そういう時計ということだったんですね。
子どもだった僕は「何でこの時計は壊れないんだろう? 何でチクタクいうんだろう? どうやって時刻が表示されるんだろう? いろんなパーツは何のために、何の役に立っているんだろう?」と好奇心を抱き、その仕組みを理解したいと思うようになりました。
その後、壊れないはずのその時計は、壊れてしまうんですが(笑)。
ジュネーブの時計学校では成績優秀だったので、某有名時計ブランドから表彰の品として、時計のパーツが入っている組み立てキットを贈られました。それを普通に組み立ててしまっては面白くないので、パーペチュアルカレンダーに作り変えてしまったんです。それを会議室で、何人かの技術者を前に、お見せしましたよ。でも、あまり反応は芳しくなかった。堅牢で正確というそのブランドのイメージからすると、ちょっと複雑過ぎたようでした。その時計は、現在はあるコレクターの元に渡っています。
その後、独立時計師のスヴェン・アンデルセンさんの工房に作業台を置かせてもらい、修復の仕事を手がけるようになります。アンデルセンさんに雇われたわけではないんです。僕は、これまで、誰かの下で働いた経験は一度たりともありません。当時は、パテック フィリップほか、いろんな時計を修復して、そこで多くの技術や機構を学びましたが、それを続けていくのに飽きてしまった。もう修復は十分やったし、実力も身につけた。一生修復に関わっていくより、自分で時計を作ろう! と思い立ったんです。
天才時計師の登場、世界初を次々と!
1986年に完成させたレギュレータータイプのトゥールビヨン腕時計を手始めに、世界初の腕時計をどんどん発表していきました。本当に、僕の前にはこういう腕時計は存在していなかったんです。’92年には、グラン/プティソヌリにミニッツリピーターやパーペチュアルカレンダーを搭載した、当時世界で最も複雑なモデル「キャリバー92」を製作しました。その3、4年後にジェラルド・ジェンタからもっと複雑な時計が発表されると、「キャリバー92」を購入されたコレクターの方が満足できなくなって、もっと複雑なものを作って欲しいと依頼されました。さらに複雑化したものを作ると、またどこかがもっと複雑なものを作り、また僕のお客様からもっと複雑なものをと依頼され、その繰り返し(笑)。世界一小さいトゥールビヨンも作りましたね。まあ、よくやりましたよ。CAD/ CAMなんてなかったし、全部頭で考えて、手で作る時代でしたからね。
とにかく、僕が作るものは全てがワールドレコード、オリンピックの世界記録と同じで、歴史に刻まれている。
時計を作るだけでなく、自分のブランド、それもハイエンドなブランドだって作れるんだということも、世の中に示すことができた。僕が一番最初に、こうした道を切り拓いたという自負はになりたいという次の世代の若者たちが育ってきたじゃないですか。
世界初という意味では、トノウ カーベックス ケースもそうです。見た目はシンプルですが造形的には複雑で、簡単には作れない。そういうものを目指したんです。開発に1年かかりました。最初のトノウ カーベックスは、’86年のリピーター付きパーペチュアルカレンダー ウォッチでした。ブランドを立ち上げた’92年には、これを復刻したモデルを発表しました。ほぼ当時の姿に近いモデルが、現在のコレクションにも受け継がれていますね。
「時計師として、一番最初に道を切り拓いた自負はあります」
FRANCK MULLER(フランク ミュラー)
トノウ カーベックス
パーペチュアルカレンダー 25th
1986年に発表されたトノウ カーベックスケースを、ブランド創立25周年を記念し、2017年に再復刻。自動巻き。18KWGケース。クロコダイルストラップ。ケース45×30㎜。25本限定。560万円。お問い合わせ先:フランク ミュラー ウォッチランド東京
“時”イコール贅沢、そのメッセージを時計に込めて
子どもは3人います。33歳の長男は、時計学校に行きましたが、今は時計関連の仕事には携わっていません。あとは16歳の次男と、長年の念願の末に授かった女の子が10歳になりました。
長男が10歳になったとき、「この中から好きなのを選んでいいよ」と言って、カタログを渡しました。彼が選んだのは「コンキスタドール」。「お前には大き過ぎるんじゃないか」と言いましたよ。当時、世界一大きい腕時計でしたから。でも彼は「パパ、これでもまだ小さいよ、もっと大きいのを作んなきゃダメだよ」なんて言ってましたね(笑)。次男は「ロングアイランド」、娘には「ヴァンガード レディ」をプレゼントしました。
時計というものは、“時”を象徴するものです。この世の中から時計がなくなってしまったら、時間の概念自体なくなってしまう。時計なしに時を刻むことはあり得ない。時計は人生のリズムを司るものです。つまり、時計には、自分の持っている時間をいかに有効に使わなくてはいけないかというメッセージが含まれている。それを子どもたちに伝えたい。
時間というものは、どんなに大金を積んでも買うことができない。他のものは、大抵何だって買えるでしょう。時計を通して、時間というものがどれほど貴重なのか、全ての人に意識してもらいたい。また、時計を買うということも、意味のある体験じゃないですか。お祝いとか、何か特別な機会に、じっくり吟味して選ぶわけでしょう。そこにもメッセージがある。
ラグジュアリーとは、自分のためにゆっくりと時間を使うことです。時間、イコール贅沢。時間こそが一番貴重な財産です。それに気がつけば簡単なことなんです。でも、その理解に、なかなかたどり着けない。
僕は人生において、自分が好きなこと、やりたいことだけに時間をかけてきました。10年ほど前からは、子どもたちと過ごす時間を大切にしてきています。もちろん、新しい時計のアイデアはたくさんあります。ただ、会社がどんどん大きくなって、有能な技術者もたくさん育って、まるで子どものように、会社は自分で成長していっている。そんな中で、僕が自分から発信することに、どれだけ時間をかけるか、思いを巡らせているところですよ。
「時間こそが、一番貴重な財産。それに気がつけば簡単なことです」
「一番大変だったモデルとか、一番思い入れのあるモデルはどれかとか、よく聞かれますが、自分で作った時計は子どもと同じ。全てが大切です。どれか1 本を選ぶなんてできませんよ」
FRANCK MULLER(フランク ミュラー)
ヴァンガード レディ
目に入れても痛くない愛娘に
今年10歳になったばかりの愛娘には、新たなフラッグシップコレクション「ヴァンガード」の女性用モデル「ヴァンガード レディ」をプレゼントした。ピンクが印象的な1本。クォーツ。SSケース。ケース42.3×32㎜。クロコダイル+ラバーストラップ。85万円。
FRANCK MULLER(フランク ミュラー)
ロングアイランド
次男に贈ったアイコンモデル
手首に沿ってアールを描くレクタンギュラーケースに、ビザン数字のインデックスを配した「ロングアイランド」を次男にプレゼント。写真は現行の「ロングアイランド デイト」。自動巻き。18KPGケース。ケース45×32.5㎜。クロコダイルストラップ。230万円。
FRANCK MULLER(フランク ミュラー)
コンキスタドール
長男が選んだ迫力モデル
現在33歳の長男が10歳になった記念にプレゼントしたもの。学校に着けていくと盗まれるのが心配で、当時はあまり着けていなかったとか。それだけ大切にしていた₁ 本。自動巻き。18KPGケース。ケース56.5×40㎜。クロコダイルストラップ。360万円。
[時計Begin 2019 WINTERの記事を再構成]
写真/山下亮一(静物) 文/まつあみ 靖