2019.09.18

小沢コージの「情熱ですよ 腕時計は」~自転車店の地下室に潜む、遅咲きの天才時計師に会ってきた

「48歳くらいでヒコ・みづのに通い始めるんです(笑)」

前々回、画期的な縦型ムーブメント時計と共に登場した衝撃の日本人工業デザイナー、原 久さん。彼には長年の相棒がいたのである。独自ムーブメントを発案し、設計した小堀康広さんだ。なんと本業は自転車店で、40歳を過ぎてからほぼ独学で時計作りを始めた遅咲きの時計師なのだ。希有な才能はなにゆえ地下に潜伏し、ここまで育まれたのだろうか?

PROFILE
小堀 康広(こぼり やすひろ)/東京都在住の老舗自転車販売修理会社経営。かつては自作で自転車フレームを作り、スポーツサイクル事業の一環として「チームゆきりん」という自転車クラブも主宰。根っからの時計好き&工作好きで40歳を過ぎて時計作りに夢中になり、48歳頃に渋谷の専門学校、ヒコ・みづの入学。1年間コースに通いながら、既存ムーブメントをベースにセンターテンプレイアウト、パワーリザーブ、パワーメーターを加え、あげくにトゥールビヨン、ジャンピングアワー、レトログラードまで製作。原デザイナーとは10年以上前にかつての部下を通して知り合い、小堀さん作の棒型ムーブメントに目を付けた原さんが設計を依頼。かつてない時計が生まれた。

 

本業は雪谷の2代目自転車店主

小沢 この店構え、本当に自転車屋さんだったんですね。

小堀 もちろんですよ。時計作りはあくまでも趣味で(笑)。工業大学を出てから浄化槽やダクトなど設備設計の仕事をしてましたが、1年くらいで自転車屋をやっていた父の具合が悪くなって。

小沢 2代目なんですね。

小堀 実家に帰ってきて横浜へ修業に行って、27歳頃には店を継ぎました。今は68歳です。

小沢 40年間お店を?

小堀 そうです。当時は単なる整備だけでなく、溶接してフレームから作ったり、ペイントもしてましたから。

小沢 ってことは今の自転車ブームよりずっと前のことだ。基本マニアックなんですね。

小堀 物作りはずっと好きで。自分で作らないと気が済まない(笑)。

小沢 いつ頃、時計作りを?

小堀 若い頃から好きで集めてました。当時はセイコーとかシチズンとか親戚から使えなくなったものを貰ってきてバラしたり、クォーツ以前の古い機械式ですよ。

小沢 やっぱりバラシから始まるんですね。分解整備とか構造はどうやって覚えたんですか?

小堀 最初は勝手にイジってたんですが、もっと簡単にできる方法があるかもしれないと。だから途中で学校に通い始めるんです。渋谷のヒコ・みづのに。

小沢 何歳くらいのときに。

小堀 今ハタチの次女がちょうど生まれた頃だから……。

小沢 ってことは20年前だから48歳、つまり四十、いや五十の手習いってことですか!?しかも48歳で子ども2人目ってハンパない若さ!

小堀 いやいや(笑)。

小沢 ところで当時のヒコ・みづのって分解整備が基本で、時計を作るコースとかないですよね。それがなぜ時計作りのほうに。

小堀 通ったのは1年の基本的なコースですが、学校に行き始めてから真ん中にテンプがある時計を作っちゃいまして。

小沢 そりゃまた勝手なチャレンジ。

小堀 その前にもオートマチックはもちろんパワーリザーブやジャンピングアワーの仕組みを自分でバラして調べてました。

小沢 時計整備が好きというより、もともとそういう時計の動きや仕組みに興味があったんですね。

小堀 かもしれない。そのうちセイコーマチックにパワーリザーブを付けてみようと思ったんです。

小沢 じゃ、時計作りは基本独学だ。工作機の使い方はどうやって。

小堀 では、地下室見ますか?入り口ここで。

小沢 うわ〜、机の後ろ。ほとんど忍者屋敷というか秘密基地だ。しかも中がメチャ広い。これは?

小堀 彫刻機です。パンタグラフの構造で、図面の10分の1のパーツが作れるんです。元は自転車に文字を彫っていましたが、センターテンプの時計もこれで作りました。これが投影機で、レンズによって倍率が変わりますけど、小さい図面を逆に大きく起こせる。これで自分が作ったモノが図面通りにできているか確認できます。

小沢 初めて見る工作機械ばっかり。古い昭和の技術と新しい技術の両方を駆使するんですね。

小堀 基本的な使い方は職業訓練所で習いました。自転車のフレームを作るには精度が必要だし、そこで旋盤とかフライス盤の使い方を覚えて、後はNC切削機があれば大抵のパーツはできます。

トゥールビヨンをはじめとする自作複雑時計コレクション。トゥールビヨンのキャリッジが文字盤のいたる所、自由気ままに配置されているから面白い。

棒型ムーブメントを使った小堀作品。初期はスケルトンに普通のガラスを使ったため全体が分厚い。棒型ムーブメントはすべてのギアが一直線に並ぶため、間隔の調整が難しく、正確に動かすだけでも至難のワザ。地板が1 本の細い板かその合わせなので剛性が保ちにくく、製作はもちろん修理も繊細で気を遣う。

本邦初公開!小堀時計師と原デザイナー共作の中でも画期的な棒型ダブルムーブメントの2ヵ国表示時計。発売が待ち遠しい!

 

似て非なるユニークな棒型ムーブ誕生のヒミツ

小沢 ところで今回なぜ棒型ムーブメントだったんですか?

小堀 きっかけはコルムのゴールデンブリッジです。雑誌で見てキレイだと思ったし、構造も物凄いじゃないですか。ただ、コルムは地板が2本に分かれていて歯車間の調整ができる。でもそうするとマネになっちゃうので僕は1本に。

小沢 オリジナリティを出したくなるんですね。ところでこっちの時計はなんですか。これもまた自作?

小堀 それはトゥールビヨン、あとはジャンピングアワーとか。

小沢 マジすか?トゥールビヨンだけでいくつ自作したと?

小堀 それで9番目です。そっちはフライング・トゥールビヨン。それからこっちはヒコ・みづのにいたとき作ったセンターテンプのヤツで、こちらはヴィンセント・カラブレーゼのマネっこ時計。

小沢 やっとわかってきました。小堀さん、物凄い構造の時計を見ると、それを理解し、なんでも挑戦したくなっちゃうんですね。

小堀 そうなんです。

小沢 しかもそれを五十の手習い、自転車店でひと通り働いた後にチャレンジ。一体どれだけ情熱あるんですか。頭も目も使いますよね。

小堀 指先もね。これ、自分で自分に出す手描きの作業指示書です。工程を書いておかないと彫刻機やりながら間違えちゃうんで。

小沢 凄い。正確で細かい。その昔、クルマの設計者に聞いたことがあるんですけど、昔は設計図がすべてでそこにあらゆる情報を盛り込むんですって。比べると今のCADは、リアルなデータを打ち込むだけで、そういったノウハウは機械が勝手に処理してくれる。

小堀 原先生と共作した棒型ムーブメントで苦労したのは、量産用のCADデータを起こすところ。おかげで他にはない凄いモノができたかと。

小沢 どうやって覚えたんですか。トゥールビヨンの仕組みとか。

小堀 あれは普通の仕組みだから。

小沢 テンプ本体をキャリッジごと回すトゥールビヨンの構造ってすぐわかりました?

小堀 ブレゲの本の中にイラストがありましてね。なんとなく構造はわかりました。

小沢 そこがやっぱり凄いです。複雑機構を見て、頭の中で動きを思い浮かべられたらもう作れちゃうって。見た途端、頭の中にイメージが広がっていく感じですか。

小堀 そう、作ってみたいんですよ。これも原先生と一緒にやったヤツでレトログラードっていう。

小沢 複雑時計はひと通り作ったんですか。ミニッツリピーターとかパーペチュアルカレンダーとか。

小堀 リピーターは一度作ったけどうまくできなかったな。

小沢 しかしなぜ時計にそこまで。

小堀 最初はもっと大きなモノ、クルマとかバイクもイジってたんです。改造したスーパーカブもあるし。でもやっぱりこのスペースでできる時計がいいなと。机の上に測定器とか入れられるし、旋盤もここにあるし、コッチには精度を測る機械がある。

小沢 部屋の片隅ですべてが賄える。本格的な時計屋さん、やろうと思わなかったんですか。

小堀 今のところは思わないですね。好きで作りたいだけなので。

「わかったら作りたくなる。複雑時計はだいたい作ってみたかな」

自宅リビング片隅の組立工房。手にするのは棒型ムーブの設計図。アイデアを思いついたら、まずは手描きで立体図にして細かい手順も記す。

愛用の道具その1 。地下室の投影機。設計図を拡大投影し、作ったパーツが設計図通りの寸法か確認。

愛用の道具その2。片方を設計図通りに動かすともう片方が10分の1のサイズで動き、正確に縮小サイズのパーツが作れる。

小沢コージ/時計好き自動車ジャーナリスト。海外試乗のついでにバーゼル&ジュネーブ取材に寄ることも多く、日本と海外の物作り思想の違いなどにもうるさい。人物取材も得意。

 

[時計Begin 2019 SUMMERの記事を再構成]