2020.11.27

名作腕時計Gショックはカシオカルチャーが生んだ奇跡だった~小沢コージの「情熱ですよ 腕時計は」

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ブランドか文化か?
名作腕時計シリーズGショックはカシオカルチャーが生んだ奇跡だった

日本が誇る腕時計シリーズ、カシオGショック。タフさと多機能性とファッション性を併せ持つ唯一無二の時計である。なぜ40年近くも作り、独自進化を続けられるのか。なにがきっかけで、どんな環境で育まれてきたのか。その生みの親を直撃する。

PROFILE 

伊部 菊雄/(いべ きくお)1976年にカシオに入社し、当初は時計のムーブメントではなく、ケースやバンドの設計を担当。入社₅ 年目で出した「落としても壊れない丈夫な時計」の企画が通り、試行錯誤の結果開発に成功。その後、高品質&低価格の商品企画に異動。また、メタルを外装に使用したGショックのMR‐Gを実現。2008年に始まったプロモーション活動「ショック・ザ・ワールド」では、生みの親として開発ストーリーを伝える語り部として活躍。既に世界30ヶ国以上で講演を行っている。また3 年前からはカシオ60周年記念事業ということで小学校で発明教室も行っている。座右の銘は「ネバーネバーネバーギブアップ」!

「一週間マクラ横に置いて思い付かなかったら辞表を出すつもりでした」

もうすぐ40周年の時計界のタフギア

小沢 あえてイチからお尋ねしますが、Gショックの誕生は?

伊部 発売は今から37年前の1983年4月。実験を開始したのは1981年です。

小沢 もはや40年近くGショックに関わってらっしゃると。今、販売数はどれくらいですか?

伊部 Gの節目の時に関わっています。2019年は単年で過去最高の年間1000万個超えでした。

小沢 それは凄い。そもそもGショックのコンセプトは、どういう発想から生まれたんですか?

伊部 個人的な話になるのですが、私が高校の入学祝いに父から買って貰った腕時計があったのですが、それをカシオに入ってしばらくして人とぶつかって落として壊しちゃったんです。

小沢 それはショックでしたね。

伊部 というより実際に落としたら壊れた、ということに衝撃を受けてすぐ企画書にして。

小沢 なるほど。それが有名な「一行の企画書」ですね。

伊部 そうです(笑)「落としても壊れない丈夫な時計」とだけ書いたシンプルな企画書です。

小沢 そしたらそれが本当に通っちゃったと。当時伊部さんはどういうポジションだったんですか。

伊部 ’76年入社で、カシオトロンというデジタル時計が生まれて2年後。すぐ時計設計の部署に配属されました。入社時は「時計を薄くする構造を考えなさい」と。

小沢 ってことはGショックとは真逆の方向性じゃないですか?

伊部 そうなんです。時計は精密機械ですし、当時はショック一発で風防が割れたり、針も止まったりすることが多かった。

小沢 つまりGショックは伊部さんの発想力もさることながら、カシオだからこそ生まれたのかもしれないですね。だって「壊れない時計」なんてある意味、ドラえもん的じゃないですか。「空を自由に飛びたいなぁ」みたいな(笑)。

伊部 そうかも知れません。電卓を世に広めたカシオには「世の中にないものを作る」という風土が脈々とありますから。私自身、上司から開発していいよって言われた時は「これは大変なことになった」と。トレンドにも反してたし。

開発スタートから約3ヶ月、研究センター3階トイレの窓から10m下の地面に向けて落としまくって作り上げた3種類のプロテクター。1番大きいものでやっと衝撃が防げた。

カシオの伝説とも言える伊部さんの「一行の企画書」。一行だからこそ苦しみ、未だかつてない新たな発明が生まれた。

貴重なGショック設計図であり構造図。まりつきを見て、さまざまな部材による点接触による衝撃吸収構造を思い付いた。イメージは浮遊する電子部品。24時間×7日間を考え抜き、アイデアが思い付かなかったら辞表を出すつもりだった。

開発スタートから約3ヶ月、研究センター3階トイレの窓から10m下の地面に向けて落としまくって作り上げた3種類のプロテクター。1番大きいものでやっと衝撃が防げた。
カシオの伝説とも言える伊部さんの「一行の企画書」。一行だからこそ苦しみ、未だかつてない新たな発明が生まれた。
貴重なGショック設計図であり構造図。まりつきを見て、さまざまな部材による点接触による衝撃吸収構造を思い付いた。イメージは浮遊する電子部品。24時間×7日間を考え抜き、アイデアが思い付かなかったら辞表を出すつもりだった。

 

「カシオじゃなかったらGショックはここまで成長できなかったかも」

小沢 開発はどこからスタート?

伊部 実験場所を決めるところです。まずは目立たないところでと、トイレの窓から時計を落として。

小沢 なぜ?企画は通ったわけだし、堂々とやっちゃえば?

伊部 時代に逆行する商品になることはわかっていたということと、審議した方達は基礎実験はとっくに済んでると思ってたと思うんです。実際、過去の提案では実験をすべて済ませてましたし。

小沢 なるほど。

伊部 ですから目立たないように実験を始め、とりあえず中のデジタル回路や液晶が壊れないレベルになったのがこの段階です。

小沢 ソフトボールサイズのプロテクターですね。

伊部 きっと最初に基礎実験をやってたら企画書自体出してなかっ

たと思います。

小沢 うわー、その段階でやっぱり無理でしたは言えなかった?

伊部 それは言えませんでした。「事前に全く考えてなかった」なんて言ったら、審査した方々はどう思いますか?

小沢 その難題をどうやって突破されたのですか?

伊部 全く新しいメカニズムを考えなければいけないとケースカバー、メタルケース、ゴムガードリング、メタルガードリング、保護ゴムと構造を5段階に分けてそれぞれで衝撃を吸収しようと。

小沢 凄いじゃないですか。

伊部 それでもとんでもない問題を抱えてて、テストすると電子部品の1ヶ所だけが壊れるという現象が。液晶の次はコイル、水晶発振子という具合に、完全にモグラ叩きに陥ってしまって。

小沢 そこはどうやって解決を?

伊部 さすがにもうダメかと。自分自身どうやって納得して諦められるかと。起きている時間すべて、食べている時、歩いている時も24時間ずっと解決作を考えようと。

小沢 寝てる時は無理ですよね?

伊部 いや、それが幼稚園時代に教えて貰ったことを思い出したんです。見たい夢があったら枕の下に絵を置く。同様に実験中の時計を枕の横に置きました。

小沢 本気ですか(笑)。

伊部 実際に月曜夜に自宅に持って帰って日曜日まで実践、ダメだったら次の月曜日にお詫びして火曜日に辞表を出そうと。最後は日曜の朝を迎えたくないので、自分が寝なければなぜか朝がこないだろうと。今思えば自分が壊れてたのかもしれません(笑)。

小沢 いったいどのようにして、奇跡のアイデアが?

伊部 結局疲れて寝て日曜の朝を迎えたんですけど、なにも浮かばないので日曜出勤して後片付けしてたんです。ただ社員食堂がやってないので外食して、公園で女の子のまりつきを見てたんです。そしたら突然衝撃が走るというか、私の場合裸電球が頭の中で光って、ボールの中に電子部品が浮かんでいるイメージが見えたんです。

小沢 具体的にはどういう構造?

伊部 さまざまな部材の点接触で心臓部を浮かばせるんです。試作したら見事に衝撃をクリアして’83年4月に1号機が無事発売。

小沢 当然、空前の大ヒット?

伊部 いや全然ですよ。最初の7〜8年は売れなかった。

小沢 つくづく偉大な会社ですねカシオって。そんなに売れなくても意義ある開発には、優秀なエンジニアを1年半も投入する。

伊部 そもそも、一般の人がターゲットではなかったんです。例えば社の近くで道路工事があったのですが、工事の人が全員腕時計してないんです。削岩機の振動で壊れちゃいますから。

小沢 売れるきっかけは?

伊部 アメリカです。アイスホッケーでパック代わりにGショックを使ったコマーシャルを流すんです。まずは消防士や警察官の方に使っていただき、次にスケートボーダー。そして’90年代にボーダーファッションの一部として日本に入ってきたんです。

小沢 その後種類がどんどん増えていくじゃないですか。そこは伊部さんの発想ですか?

伊部 私自身は’86年から別の商品企画を担当してて。その後は優秀なデザイナーや若いスタッフがどんどん広げてくれました。

小沢 しかもそのアイデアと種類が半端ない。つくづくGショックはカシオの他がやらないものを作る文化がゆえですね。考え方自体が宝物。誰もマネできない。

伊部 常に新しい機能、新しいスタイル、新しい色が入りますからね。他ではまずできないですよ。

伊部菊雄さん。Gショックの凄さは衝撃吸収性はもちろん、次々追加されるアイデアや機能、スタイルにある。しかもそれはすべて新しいテストに裏付けられており、研究センターはナゾな試験機だらけ!

海外のプレゼンでは直接現地の言葉で喋ることを自ら義務付けており、これは語学習得用のICレコーダー。4ヶ月で1ヶ国語をマスターする。

社内用のアイデア帳は6Bの鉛筆で記す。

持ち歩き用メモ帳は1年経つと敢えて全部捨てる。古い考えに縛られないために自ら決めた掟だ。

伊部菊雄さん。Gショックの凄さは衝撃吸収性はもちろん、次々追加されるアイデアや機能、スタイルにある。しかもそれはすべて新しいテストに裏付けられており、研究センターはナゾな試験機だらけ!
海外のプレゼンでは直接現地の言葉で喋ることを自ら義務付けており、これは語学習得用のICレコーダー。4ヶ月で1ヶ国語をマスターする。
社内用のアイデア帳は6Bの鉛筆で記す。
持ち歩き用メモ帳は1年経つと敢えて全部捨てる。古い考えに縛られないために自ら決めた掟だ。

 

[時計Begin 2020 autumnの記事を再構成]

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