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2021.08.19
若き日本人時計技師はなぜ世界で優勝できたのか?~小沢コージの「情熱ですよ 腕時計は」
日本の物作りは終わらない。
若き日本人時計技師はなぜ世界で優勝できたのか?
時計界をあっと驚かせた若き日本人がいる。AHCI主催の「ヤング・タレント・コンペティション」において日本人初優勝を遂げた関 法史氏だ。希有な才能は現代ニッポンでどう育まれたのか。どう道を切り開くのか。
PROFILE
関 法史/(せきのりふみ)東京都出身の23歳。幼い頃から絵や物作りに親しむ。父は古武道をたしなみ、居合刀が自宅にあったこともあってか、日本文化や工芸を意識するようになる。16歳でカスタムナイフ作りにハマり、刀鍛冶の弟子入りも真剣に考えたほど。高卒認定試験に合格後、なにかしら伝統工芸や物作りに携わる仕事をしようと思っていたところで独立時計師の存在を知り、ヒコ・みずのに入学。今に至る。
「元々、工芸品や物作りには興味がありました」
ニュータイプのニッポン独立時計師候補
小沢 関さんかなりお若いんですよね。
関 今は23歳で、今年24歳になります。
小沢 去年、アカデミーのヤング・タレント・コンペティションを獲っちゃったわけですけど、最初はどう思いました?
関 もしかしたら、新たな前例になってしまったのでは、という気がしました。
小沢 実は手応えがあったのでは? ライバルいたんでしょう?
関 詳しくはわからないですが2015年から始まっていて、一昨年イギリス人が獲り、ロシア人もいたはず。日本人は僕が初めてで、ただ基本的にはウェブ審査で、高画質の作品写真とどういう時計なのかのレジュメを送って審査されるので。
小沢 そうか。現物を審査員のジュルヌさんやデュフォーさんが見るわけじゃない。とはいえアイデアは非常に秀逸だったんじゃないでしょうか。球形のムーンフェイズに縦型ドラムのカレンダー。僕はあんな時計を見たことないです。考え方の新しさには自信があったのかなと。
関 そこは少し自信がありました。そこが評価されたらひょっとしてとは。とはいえ、応募に至る経緯もすこし偶然的な要素がありまして。
小沢 え? 応募は、ヒコ・みずのや時計作りの先生だった独立時計師・菊野さんの推薦じゃないの?
関 違います。時計はヒコ・みずのの卒業作品として作っただけで、写真をインスタグラムに上げたらシンガポールのメディアからコンテストにぜひ応募してみたら、と言われて出したんです。
小沢 凄い時代だ。日本人の学生時計師が作った時計がインスタで注目されて、コンテストに出したら優勝だなんて。球体のアイデアはどこからですか?
関 最初は横の両面を想像したというか、これだけ大きい球体でムーンフェイズを表現したものがなくて。カレンダーの表示も今まで縦回転のドラムはなかったと思ったので。なかったけど結構普遍的に感じる表現だと感じたので。
小沢 新しくてクラシックだと。しかし、時計に興味を覚えたのはいつですか?
関 最初は17歳で、アルバイトでお金が貯まったので何かに使いたいと。そしてヴィヴィアン・ウエストウッドのファッション時計をクォーツだけど買うんです。
小沢 そこからなぜ時計を作る方向に?
関 菊野昌宏さんの影響で、18歳くらいで進路を悩んでる時に『先輩ロックユー』という番組で菊野さんを見て、独立時計師の存在を知るんですよ。
小沢 たった1人で時計を作る世界があることを知っちゃうんですね。元々そういう職人の仕事とか、物作りには興味はあったんですか?
関 ありました。小さな頃から絵は好きだったし、カッターとか刃物も好きでプラスティックの日本刀を作ってました。
小沢 親御さんが寛容だったんですね。というか浅岡 肇さんがそうですが、もしや親戚に刀鍛冶がいるとか?
関 そこまでじゃないですけど、父が古武道をやってて剣術で日本刀を使ってました。ウチにも居合刀はあったし僕自身、小学生で古武道を習ってたんですよ。
小沢 工芸品的なものは好きだった?
関 はい。16歳の時はカスタムナイフメイキングにもハマって、その時は刀鍛冶の弟子になったら面白そうとか(笑)。
小沢 なるほどそこから時計に繋がる。
関 ナイフだとやはり世界が特殊すぎる気がして。ちょうどその時に菊野さんの番組を見てしまって、そもそも高校行かずに高卒認定試験を取ってなんかやりたいと思ってたくらいの人間なのでサラリーマンになる気はなかったですし。
小沢 一時は自衛隊も考えたとか? 菊野さんと少し似てますよね。
関 時計の前のことですけどね(笑)。
小沢 ヒコ・みずのに入ってからは?
関 当時、3年コースが終わったら4年目の時計製作研究者コースも選べたんです。僕の場合は、最初から時計を作るつもりでヒコ・みずのに入学していました。
小沢 他の方と違いますよね。ほとんどは時計修理を覚えたい学生ですよね。
関 そうです。一学年40人いたら2〜3人ですね、研究者コースまで行くのは。
4年目の研究者コースで製作したヤング・タレント・コンペティション受賞作「球 体ムーンとドラムのカレンダー搭載ポケットウォッチ」
ETA7750をベースに地板やパーツの約7割を自作。球体ムーンフェイズと縦型ドラム式のカレンダーが最大の特徴。
ヒコ・みずの在学中に作ったレギュレーターと3針。主にエングレービングやデザインに注力したもの。エングレービングは同級生が担当。
「古い時計にしかない密度を自分の時計にも」
小沢 球体ムーンフェイズのアイデアはいつ頃から考えていたんですか?
関 おぼろげながら最初から考えてましたね。複雑機構も色々ありますけど、僕はムーンフェイズみたいな、時に関する哲学的な要素が好きで、なんでこんな形をしているんだろう? みたいに1つひとつ構成要素から疑い始めたというか。
小沢 そこは和時計の菊野さんとも最新工芸技術の浅岡さんとも違うんですね。
関 僕は古い欧州の時計から始まって、懐中時計までの一番密度の濃い部分というか、歴史的な部分に興味があるんです。
小沢 ある種、大河ドラマみたいな時計のビッグストーリーですか。
関 はい。ジョン・ハリソンにせよ、ブレゲにせよン百年前によくこんなの作ったな、みたいな話が面白い。ヘンな話、明治維新も大好きで、日本生命とかみずほ銀行とか原型はほとんど明治に作られてるじゃないですか。今の日本は明治の遺産を受け継いでいるだけというか。
小沢 やはり大河ドラマだ。時計大河ドラマを踏まえて今の時計を作るというか。
関 新しい流れを作りたいですね。おこがましいかもしれませんが(笑)。
小沢 いいじゃないですか。しかし、球体ムーンはすんなり作れたんですか?
関 とんでもない。まず3年目の夏休みに1号機のレギュレーターを作り、正月に無題の3針を作りましたが、基本的な構造は元のままというかデザインを自分流に作ったみたいな。新しいギアを自分で作り始めたのは3番目の球体ムーンから。基本的な設計を頭の中で考え、それを手描きの設計図に起こして、製作開始まで数ヶ月かかりました。メインはETAの7750ってムーブなんですけど地板は新設計で、ギアのほぼ7割が新作。
小沢 4年生になればギアや軸も自分で作れちゃうんですか?
関 そこは菊野さんにアドバイスを頂いてます。時計用の歯車には独自の曲線があってクルマのギアと全然違うんです。
小沢 やはりヒコ・みずの凄い。現役独立時計師の先生は強みがありますね。そもそも菊野さんがいなければ関さんもこの道に入ってこなかったでしょうし。
関 そう思います。
小沢 今後はどうしますか?
関 今働いている江口時計店で古い時計を直して勉強しつつ、自分の時計を作ろうと。球体ムーンでエングレービングをやってもらった永田さんのほか、同級生や後輩に仲間がいるので4人で新しいブランド的なものを作ろうって話もあります。アイデアだけは沢山あって、すでに世界にないものが2つはあるかと。
小沢 それは凄い! 期待してます。
今は吉祥寺のアンティーク時計を専門に扱う江口時計店で時計修復師として働く。1970年代の名作時計を直接イジることでデザイン、構造、フィロソフィーを学ぶ。
球体ムーンの手描き設計図。
関 法史さん。意識しているのはF.P.ジュルヌ。
[時計Begin 2021 SUMMERの記事を再構成]