2021.12.07

MOPダイヤルを広めた日本人は希代のスーパーセールスマンだった~小沢コージの「情熱ですよ腕時計は」

MOPダイヤルを広めた日本人は希代のスーパーセールスマンだった

MOP(マザー・オブ・パール)ダイヤルを今のように普及させたのは、ツテもないなか日本からスイス時計業界に殴り込んだ賀来さんだ。常にハイテンションな氏はどんな技と情熱で閉鎖的な業界に風穴を開けたのか?

PROFILE

賀来勝彦/(かくかつひこ)ワイ・ケイ・プレシジョン代表取締役。小さな頃からモノ作りが好きで、プラモデルを完成させたとたんに壊してたスクラップ&ビルドの男。高校卒業後、カナダに渡りオンタリオ州のMcMasterUniversityを卒業。帰国後コンピュータ会社などを経て、家業の真珠養殖業を主業務とする光元貿易入社。そこでそれまで捨てていた白蝶貝を生かし、時計の文字盤を作るビジネスに着手。試行錯誤の末、シリコンウェハー用スライサー等を応用し、今までにない精度、クオリティでのMOPダイヤルを完成。猛烈な営業力で本場スイスに売り込み、今に至る。

原子物理学専攻の賀来さんだが驚異的な文字盤の研究開発、製作から売り込みまで基本1人で行った。

ワザと冬狙って行くんですよ。可哀想で帰すに帰せないから

堅いスイスの壁をどう打ち破った?

小沢 なぜMOPダイヤルを作ろうと思ったんですか。元々時計が好き?

賀来 いや全然。父親が大学2年の時に他界したんですよ。僕が21で父が65。実家は真珠の養殖会社で、当時僕は別会社にいましたが「継ぐにしろ継がないにしろ会社を見とけ」と。真珠ねぇ…あまり興味ないな、と思ってました。

小沢 大学の専門は物理学でしたよね。

賀来 原子物理学です。真珠の養殖とは全く関係ないです(笑)。

小沢 それがなぜにMOPダイヤルに。

賀来 僕が実家の会社に入社したのは30歳過ぎ。入ったら入ったで母も病気と言われて困ってたところ、開発部の社員が僕の脇をたまたま通ったんです。そしたら彼のしてる腕時計の文字盤がピカッと光った。「それなんだ?」と聞いたら貝の文字盤だと。貝ならウチにゴロゴロしてるし、「ウチは真珠を取った後の貝をどうしてる?」って聞いたら、洋服のボタン製造業者に二束三文で卸してるっていうじゃないですか。だったら貝の文字盤を研究してやろうと思ったんです。材料費もタダだしさ(笑)。

小沢 全くの直感なんですね。

賀来 僕は理工学部出身だし、ロレックスも持ってない。ただ行動あるのみ。

小沢 どこから動いたんですか?文字盤マーケットとか価格を調べるとか?

賀来 まず貝ごとセイコーに持って行きました(笑)。というのも、時計用の貝の文字盤は昔からあるんですけど、昔も当時も高い時計にしか使われてないレア物だった。

小沢 当時のMOPダイヤルはコレクターズアイテムでしたよね。主に女子用の。

賀来 時計用にするにはどうすればいいのか聞いたら、まず0・1ミリ厚にしろと。貝殻をスライスして精度出して研磨したらいいという話をセイコーから聞き、これなら参入する余地は十分あるだろうと。

小沢 当時はレアで高かったんですね。

賀来 物によっては1枚4〜5000円。

小沢 ’90年代半ばまではMOPダイヤルの大量生産自体がなされてなかったんですね。しかし、貝の切削にシリコンウェハー用のスライサーを使おうなんて発想は、どこから出てきたんですか?

賀来 当時日本は世界最大の半導体生産国でしたからね。そこで東京精密って専門メーカーに打診して「貝が切れたら機械を買ってやる」って言ったら切ってきたんですよ。ただ白蝶貝は堅いので1枚の切り出しに25分かかる。そのままでは使えませんが、母親に直談判して会社に「時計事業部」を作りました。

小沢 すぐ作れるようになりましたか。

賀来 とんでもない。スライサーに加え、専用刃のブレードの難題も出てきて、東京精密に旭ダイヤモンド工業の両方とタイアップして試行錯誤が始まりました。

小沢 一説ではそこで3年半という話で。

賀来 それくらいはメチャクチャ投資しましたね。ざっくり人件費入れてトータル約1億円。当時会社の中では白い目で見られてましたから。ジュニアは真珠の勉強もせずに何やってんのと(笑)。

小沢 社長、メンタル強いんですね。

賀来 勉強をしなかったわけじゃないんです。ただそこには僕の技術は要らない。文字盤の世界なら生かせるだろうと。

小沢 そこにニッポンの下町カルチャーの底ヂカラがあるんでしょうか。

賀来 そこはやっぱり凄いですよ。会社を当初は基本僕1人でやってましたが、東京精密さんも、旭ダイヤモンドさんも僕の情熱に引っ張られてやってくれたし、そもそも日本の職人じゃなければ、畑違いの技術にここまで頑張れないですよ。世界でこんなものを作れるのはウチぐらいだし、とにかく製品をスイスに認めさせる!そこをゴールに定めました。

小沢 とはいえスイスにツテは?

賀来 あるわけない(笑)。まずセイコーで受け入れられた文字盤をスイスに持っていこうと。当時はインターネットもないからいきなりDM送って、電話かけて、断られても行きましたよ。30社ぐらい。

小沢 どうやってあたったんですか?

賀来 スイス大使館に行って現地の時計文字盤関連の会社を全部教えてくれと。

小沢 マジですか。全くのコネなし?

賀来 もちろん断られること前提でスイスに行くんです。こちらは英語しかできないし、アッチはフランス語だしね。だからこちらはワザと冬狙って行くんです。で、受付で「日本から来たんですけど、既にDMや現物は送ってまして」と言うと、外は寒くて無下に断れないから「話だけなら聞いてやるよ」となる。

小沢 凄い作戦ですね。スイスの寒さとスイス人の情を逆に利用するとは。

賀来 すると彼らが何を求めてるか初めてわかってきて、まずヨーロッパでMOPは白くないといけないんです。干渉色があったらダメ。加工精度は±5ミクロンで穴も開けるとそこも加工精度は±10ミクロン。オマケにフラットじゃなきゃいけないとか物凄い世界です。

でも幸いにもスイスで一番の文字盤メーカーの社長に気に入られて「1回買ってやるよ」ってことになるんです。実はそこからが大変で、製品を出しても出しても「ここを直せ」「あそこを直せ」と何回も返されるんだけど、そのうち断る理由がなくなり結果、物凄く鍛えられる。

で、ここからが欧州ブランドの凄いところで、とあるO社のCって有名なシリーズがあって白蝶貝ダイヤル納入のコンペに大手文字盤メーカーが参入する。そしたらそこが勝ってウチに文字盤を発注してくれたんです。凄いのが発注量。まず年間1万枚ぐらいで、それでも多かったんですが、色違いやサイズ違いでバーッとモデル数を増やしてなんと3年間で25万枚!売上げはいきなり億行きました。そこからは紹介で仕事も広がり、あの成功があるから今があります。

小沢 行けると思ったらマーケット自体を作る。そこがスイスの凄さだと。

賀来 文字盤の注文が多すぎてウチで全部作れなくなるじゃないですか。すると言わされるんですよ。「賀来、どうやって作ってるの」と質問されて。

小沢 ヒドい。ノウハウを言わされると。

賀来 それでいいんですよ。商品がいつまで売れるかわからないし、あぐらをかいてちゃいけない。次を考えないと。

小沢 例のMOPを白くする技術ですね。

賀来 今、環境問題もあって大きな白蝶貝が手に入りづらくなってて、色を付けられれば今まで捨ててた貝も生かせるんです。今はさらに新たな色味にも挑戦してますよ。

ずっと白い目で見られてましたね。真珠の勉強もせず何やってんのと

真珠養殖で使われた後の白蝶貝。かつては光元貿易で扱っていたインドネシア産などを使っていたが今では世界最大手のオーストラリア産を使う。

MOPダイヤル仕様図。加工精度は±5ミクロン、穴は±10ミクロンレベルの精度が要求される。全体の平滑さ、フラットさも重要。

真珠養殖で使われた後の白蝶貝。かつては光元貿易で扱っていたインドネシア産などを使っていたが今では世界最大手のオーストラリア産を使う。
MOPダイヤル仕様図。加工精度は±5ミクロン、穴は±10ミクロンレベルの精度が要求される。全体の平滑さ、フラットさも重要。

左が研磨前、右が研磨後。加工がどこまで求められるかは発注メーカーにより異なる。

かつて使われていた天然物の白蝶貝と最近使われている養殖物の白蝶貝。天然物はサイズが大きく、白発色が良いものが使われていたが、最近はSDGsの風潮もあり、養殖ものが多くなり、サイズが小さく発色が悪いものも使い切ることが求められている。

ワイ・ケイ・プレシジョンが関わり作られた数々の文字盤。今、文字盤を素材だけでなく、日本国内で完成させてスイスに納めるビジネスを目指している。

左が研磨前、右が研磨後。加工がどこまで求められるかは発注メーカーにより異なる。
かつて使われていた天然物の白蝶貝と最近使われている養殖物の白蝶貝。天然物はサイズが大きく、白発色が良いものが使われていたが、最近はSDGsの風潮もあり、養殖ものが多くなり、サイズが小さく発色が悪いものも使い切ることが求められている。
ワイ・ケイ・プレシジョンが関わり作られた数々の文字盤。今、文字盤を素材だけでなく、日本国内で完成させてスイスに納めるビジネスを目指している。

 

[時計Begin 2021 autumnの記事を再構成]

写真/谷口岳史