2021.11.21

北の大地で140年間時を刻む米国ハワードの大時計【おたくの細道】

毎度マニアな時計の情報を届けるこのコーナー。今回は、正式に日本最古に決まった札幌時計台の大時計について。あの有名な時計は米国の超名門によって作られていた!?

北の大地で140年間時を刻む
米国ハワードの大時計

今年6月、札幌時計台と兵庫県豊岡市の辰しんこ楼ろう、どちらが日本最古の時計台か?という長年の”論争”に終止符が打たれた。結論は札幌時計台が1881(明治14)年の8月12日、辰鼓楼が同年の9月8日に稼働と、わずか27日違いで札幌に軍配。しかもこれは豊岡側の調査で判明したというから、なんとも皮肉というか潔いというか……。

ここまでは新聞等でご存知の方もいると思うが、興味をそそられるのは、やはり最古の時計台に備わる時計である。

札幌時計台は正式名称を「旧札幌農学校演武場」といって、北海道大学の前身である札幌農学校の講堂として1878年に建てられた。その後大学は移転してしまうが、札幌市が買い取って現在の場所に移転。さまざまな変遷を経て、いまや日本を代表する観光名所となった。時計塔は3年後の1881年に増設され、ここに米国ハワード社の時打重錘振子式四面時計を設置。いわゆる重りの力を利用した振り子式の打鐘時計で、4面の文字盤の直径は1・67m、分針85㎝、時針63㎝。青銅製の鐘は直径71㎝、重さ226㎏。4日に1回は重りを吊るしたワイヤーを人力で巻き上げるのだが、非常に重いうえに慎重に扱わねばならず、巻き上げには2時間もかかるという。

さて、この時計を製作したハワードとはいったい何者なのか、その歴史をひもといてみよう。ハワード社の創業者エドワード・ハワードは、1850年、ディビッド・デイビス、アーロン・ラフキン・デニソンとともに時計会社「ハワード、デイビス&デニソン社」を創設。同社はマサチューセッツ州ウォルサムに大規模な工場を建て、「ボストン・ウォッチ・カンパニー」として懐中時計の大量生産に着手する。これが米国最古の時計ブランドとなるウォルサムの原点である。

一方、ハワードはまもなくこの会社を離れ、ボストンに自身の会社「E.ハワード&カンパニー」を設立する。ハワード社が手がける製品は、きわめて高品質なことで全米に名を馳せた。今も高級時計のムーブに使われるスワンネック緩急針を初めて取り入れたのも同社である。また、IWCの創業者フロレンタイン・アリオスト・ジョーンズは、スイスに渡る前にこのハワード社に在籍していた。

ところが1903年、ハワード社はクロック製造部門を残し、懐中時計の製造・販売権利をケース会社のキーストンに売り渡してしまう。しかしながらハワードの時計は、この新体制のもとでも変わらぬ高品質を貫いた。愛好家の間で買収前は”オールドハワード”、買収後は〝キーストンハワード〞と呼ばれ、それぞれ作風は違うものの、どちらも米国が世界を牽引した時代の逸品と目されている。

結局、ハワード社は27年にハミルトンに買収され、腕時計が隆盛となる時代までは生きながらえなかった。ちなみに創業者のハワードが引退したのは1882年。札幌時計台の大時計はその最晩年、まだ〝オールドハワード〞時代に作られたものだ。そして140年後の今も、北の大地で精緻に時を刻み続けている。

札幌市時計台

1878年に建てられた日本最古の時計台。1881年、時計塔の4面に直径1.67mの文字盤を擁す、米国ハワード社製の「時打重錘振子式四面時計(製造番号738)」が設置された。重要文化財。

オールドハワード

キーストン社に買収される1903年以前の製品「シリーズⅨ」。両開き式のハンターケース。18 サイズ。スワンネック緩急針付きの15石。ブリッジに犬の刻印。(筆者所有品)

キーストンハワード

1903年以降の製品「シリーズ11(右上)」「シリーズ0(左上)」。典型的な鉄道時計スタイルのオープンフェイス。16サイズ。ハイグレードな5姿勢調整の21石(右下)と23石(左下)。(筆者所有品)

 

[時計Begin 2021 autumnの記事を再構成]

文/岡崎隆奈