2022.05.13

【受け継ぐ時計】美術家、画家・横尾忠則さん 欲望から解放された時間の継承

よこお・ただのり/美術家、画家。1936年兵庫県生まれ。高校卒業後、神戸新聞、日本デザインセンターなどを経て、グラフィックデザイナーとして国内外で注目を集める存在となる。’80年ニューヨーク近代美術館でのピカソ展に衝撃を受け、画家宣言。以降、多彩な作品を制作する。2001年紫綬褒章、’04年紺綬褒章、’15年高松宮殿下記念世界文化賞など、数々の賞に輝く。’21年、東京都現代美術館で「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」展、東京 六本木の21_21 DESIGN SIGHTでのカルティエ現代美術財団主催「The Artists」展を同時期に開催し、大きな話題となった。

 

スウォッチとの34年ぶりの縁、三宅一生氏との半世紀の交流

高校時代には腕時計を着けていましたが、社会人になって以降、何十年も腕時計を着ける習慣がなくなっていました。ですが、1987年だったか、スウォッチの腕時計のデザインを依頼されたんです。日本担当のアメリカ人女性と、スイスのスウォッチの本社で、いろんな部門を統括している偉い人が二人で頼みに来られました。2回来られたかな。ハイエックという人じゃなかったかって? そんな名前だったような気がしますね。

2個頼まれて、製品化されたのは、文字盤に数字が書いてあるにはあるんだけど、しかるべきところにはなくて、中央に塊になっているようなデザイン。1万円しなかったその時計が、一時イギリスのオークションで36万円になったと聞いて、びっくりしました。もう一つは、鏡を文字盤に使うデザインでしたが、当時先方にそれを扱う技術がなかった。後に技術開発して製品化していましたが、元のアイデアは僕ですよ。僕がデザインしたスウォッチを「ご自身も着けてください」と言われて、そのときからまた着け始めて、以来腕時計を外せなくなりました。

海外からのコラボ依頼は、思い切ったことが許される

2021年3月に発売されたスウォッチとニューヨーク近代美術館(MoMA)とのコラボモデル。所蔵作品6点を選び、そのデザインを纏った中の2本に、1966年と’68年の横尾氏作品が選ばれた。 右は「The City and Design」。左は「New York」。

2021年にスウォッチとMoMAがコラボして、1960年代の僕の作品を使った時計2モデルが発売されました。時計自体もですが、パッケージもMoMAが作るだけあってアートをメインに、なかなかシャレてる。もし息子に時計を渡すことがあったら、その内の「The City and Design」、娘には「New York」かな。フランク ミュラーの時計も持っているんですが、これは高いからあげない(笑)。以前フランク ミュラーの広告に出たときに頂いたものです。当初はよく着けてましたけど、今はケースやベルトが傷まないように、しかるべきときにだけするようにしています。

ヴィンセント・カラブレーゼさんとコラボした時計もありますが、彼には会っていないんです。でも海外からの依頼は、思い切ったことが許されるので、楽しんでやっています。

ISSEY MIYAKEの時計は、新作ごとにプレゼントされているので、何個もあります。最近はグリーンのモデルを着けることが多いですが、これは三宅デザイン事務所やISSEY MIYAKEの代表取締役である北村みどりさんへのオマージュです。

1971年にニューヨークに行ったとき、ジャパンソサエティで三宅一生さんが初めて海外でのショーをされたんです。それを僕に見に来て欲しいと、知人を通じて連絡を頂いて、伺いました。そのときはあまり話をしなかったんですが帰国後、’73年からパリコレに参加するのでインビテーションカードをお願いしたいという依頼があって、それがずーっと、今も続いているんです。ひとつのクライアントの仕事で約50年も続いているのって、一生さんのところぐらいかな。最近はブルゾンとか、ファッションやテキスタイルのコラボもやり出しましたのでね、本当に長い交流になります。

2021年の7月から10月にかけて東京・六本木ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHTで行った、カルティエ現代美術財団主催の「The Artists」展も三宅一生さんに賛同頂いて開催できました。カルティエ現代美術財団のゼネラル・ディレクターのエルベ・シャンデスさんは、最初から東京での開催を考えていて、僕もそれを希望し、彼といろいろ当たりましたが、なかなか興味を示してくれるところが見つからなかった。そうしたら三宅一生さんから関心を示してもらい、結果、多数の動員を得て大成功となりました。この展覧会では、カルティエ現代美術財団からの依頼で制作した、財団とゆかりのアーティストらの肖像画139点を展示しました。肖像画は、誰を描いても僕自身の自画像のような気がします。自分の中の多面性を、他者を通して具現化しているのではないでしょうか。

エルベ・シャンデスさんとは、三宅一生さんの紹介で、2005年に彼が僕のアトリエを来訪し、初めて会いました。僕に会うまで15年間、観察し続けていたと言ってくれました。そして、1年後にパリのカルティエ現代美術財団での個展の依頼を受け、すぐに準備に取り掛かりました。

エルベさんは、有名無名を問わず、関心を持った作家を長年追跡調査しながら、自分の中でボルテージが上がって発火した瞬間、その作家に会いに行くようです。カルティエ現代美術財団で紹介される作家のほとんどは、ユニークで誰にも似ておらず、この財団を通して世界から注目を集めさせる神秘的な力があると思います。エルベさんは、まだ知る人ぞ知る作家が、世界的な存在になっていくのを楽しんでいるように思います。

 

コロナ禍、空間と時間、創作意欲をかき立てるもの

「The Artists」展と同時期の東京都現代美術館での「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」展は、愛知県美術館からの巡回展でしたが、大成功を収めました。時期を同じくしたのは、偶然ではなかったでしょうが、僕は全ての事柄に、常に受動的に対応してきました。つまり「成るように成る」ことに任せています。これが僕の自然体でもあります。僕を取り巻く全ての事柄が、作品に影響しているのでしょうが、それをいちいち考えたりはしません。そうした事柄を空気のように感じているだけです。

 そんな中でも、コロナ禍は僕に大きな影響を与えてくれました。命への尊厳です。生死を通して命への尊厳が自然に作品に影響するように願いながら描いていたように思います。本当に、今まで以上に創作意欲が熱していました。

 「GENKYO」展での「寒山拾得」のシリーズは、国立新美術館の企画展「古典×現代2020」で、曾我蕭白を主題に作品の依頼があったとき、蕭白の「寒山拾得」を借用してみようと思ったこととか、その後、寒山拾得の人物像に惹かれたことが、シリーズ制作へ発展しました。この唐代の超俗的な人間への関心が、自らの生き方の指針に結びついたように思えました。

「時間は人の欲望と関係がある。欲望の強い人は、時間が足りないと思っている」

東京・成城にある、磯崎 新氏設計のアトリエに伺った。旺盛な制作意欲が、アトリエの様子からも窺える。

 僕の作品は、空間を表すより、むしろ時間を描いているように思います。過去の時間、現在の時間、未来の時間を。時間は平等ではないのです。ひとりひとりの時間は異なります。時間はその人の欲望と関係があります。欲望の強い人は、時間が足りないと思っています。僕は最近、1日の時間が長過ぎると感じます。年齢とともに欲望は消えていくからかもしれません。欲望から解放された者は、時間を自由にコントロールできます。そんな時間が継承されるといいですよね。

フランク ミュラーの広告に出演した際に贈呈されたピンクゴールドの 「トノウ カーベックス」。しかるべきときだけの「よそいき」の1本。

重鎮独立時計師ヴィンセント・カラブレーゼとのコラボモデル「タイム・ウェブ」。秒針を兼ねたクモや、クモの巣にかかった数字などにより、ネットの発達で時間に縛られる現代社会を表現。5時位置の窓から、12時間で1回転する下層の文字盤に配した19世紀の画家アングルの作品「トルコ風呂」の一部が覗ける趣向。

横尾氏がデザインを手がけた1987年のスウォッチ。9999本限定で製作された、スウォッチの初期を象徴する1本。「文字盤に数字はあっても、塊みたいになっていて何時かよく分からない。でもそこがいいんじゃないかな。当時、褒められると他人にあげちゃって、もう手元にほぼ残っていない」

1970年代から長きにわたり交流のある三宅一生氏のプロデュースするウォッチ・ブランド、ISSEY MIYAKEのモデルは多数所有。最近はこの「PLEA SE」をよく着用。デザインはジャスパー・モリソン。しかし横尾氏は誰のデザインかは意識していなかったとか。

フランク ミュラーの広告に出演した際に贈呈されたピンクゴールドの 「トノウ カーベックス」。しかるべきときだけの「よそいき」の1本。
重鎮独立時計師ヴィンセント・カラブレーゼとのコラボモデル「タイム・ウェブ」。秒針を兼ねたクモや、クモの巣にかかった数字などにより、ネットの発達で時間に縛られる現代社会を表現。5時位置の窓から、12時間で1回転する下層の文字盤に配した19世紀の画家アングルの作品「トルコ風呂」の一部が覗ける趣向。
横尾氏がデザインを手がけた1987年のスウォッチ。9999本限定で製作された、スウォッチの初期を象徴する1本。「文字盤に数字はあっても、塊みたいになっていて何時かよく分からない。でもそこがいいんじゃないかな。当時、褒められると他人にあげちゃって、もう手元にほぼ残っていない」
1970年代から長きにわたり交流のある三宅一生氏のプロデュースするウォッチ・ブランド、ISSEY MIYAKEのモデルは多数所有。最近はこの「PLEA SE」をよく着用。デザインはジャスパー・モリソン。しかし横尾氏は誰のデザインかは意識していなかったとか。

 

写真/山下亮一 文/まつあみ 靖 構成/TAYA

[時計Begin 2022 WINTERの記事を再構成]