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2018.03.27
受け継ぐ時計「ジュウ渓谷へのリスペクトを形に/Olivier Audemars(オリヴィエ・オーデマ)」
AP共同創業者のひ孫が語る、地域に根差した時計製造の伝承
伝統性、革新性、審美性、技術力・・・、あらゆる面でウォッチシーンをリードし続けるオーデマ ピゲ。
その創業者のひ孫にして、同社取締役会副会長のオリヴィエ・オーデマ氏。常にラフなレザージャケットにノータイのスタイル、しかしその言葉にはジュウ渓谷の伝統に根差した重みがあった。
祖父が与えてくれた感動の瞬間を胸に
オーデマ ピゲ社は、現在取締役会会長であるジャスミン・オーデマの曽祖父ジュール=ルイ・オーデマと、私の曽祖父エドワール=オーギュスト・ピゲが、1875年に始めた会社です。その息子、つまり私の母方の祖父であるポール=エドワール・ピゲとは、たくさんの思い出があります。
小さい頃、森へ一緒に出掛けたり、スキーを教わったり。祖父は、よくムーブメントを持ち帰って家で作業していましたが、当時、なぜこんな小さな機械に何時間もかけるのか、理解できませんでした。
6歳になったある日、祖父が組み上がったムーブメントを持ち帰ってきて「脱進機のところをちょっと触ってごらん」と言ったので、おそるおそる触れてみると、時計に生命が吹き込まれたかのように急に動き始めました。「魔法のようだ!」と思った、あの感動は忘れられません。
工房で時計師の仕事ぶりを見せてもらうこともありました。祖父から「小さな金属の塊に命を吹き込む人だよ」と紹介されましたが、本当に魔法使いのようだと思いましたね。でも、時計師になりたいとは思わなかった。複雑すぎて、自分にはとても無理だと思ったんです。それが現在、こうしてファミリービジネスに関わっているのは、時計師の驚くべき作業を目の当たりに祖父が与えてくれた感動の瞬間を胸にした経験や、祖父が与えてくれた感動が、私の中にとどまっていたことが大きな理由です。
大学卒業の際、祖父からもらった時計が、私のファースト・オーデマ ピゲです。スチールケースにゴールドのベゼル、第二次世界大戦中に作られたものでした。そのあとにも、ホワイトゴールド製の小型のエクストラフラットケースに、ダークブルーダイヤルを備えた2針の時計ももらいました。今の時代にしては、やや小さすぎるので、時々妻が着けていますが(笑)。
今回、祖父の名前が文字盤に入った、クオーターリピーター懐中時計を持ってきました。かつて時計師たちは、時計に名前を刻みませんでしたが、よほどの傑作ができたときだけ、例外的に自身の名を入れたんです。現在は、私のものというより、会社の財産として、ミュージアムに大切に保管されています。以前は、気軽にお見せしたり、旅に持っていったりしましたが、今はミュージアムの館長から「これはやめてください!」と懇願されますので(笑)
「金属に命を吹き込む魔法使いだ!と、本当に思ったのです」
「伝統性と革新性を両輪に複雑で美しく堅牢な時計を届けたい」
鉄から高い付加価値を生み出す伝統
オーデマ ピゲとジュウ渓谷の絆について、お話しさせてください。ジュウ渓谷は、雪深く、他から隔絶された高地にあります。そんな厳しい自然環境にもかかわらず、フランスやサヴォイア公の土地を離れ、自由で独立した精神を愛する人たちが住み始めたのです。天然資源も乏しく、鉄鉱石を精製して、なんらかの製品を作ることくらいしかなかったのですが、勤勉に仕事を進めていく中で、鉄から非常に高い価値を生み出す、時計製造という仕事に発展していったのです。特に冬場は、時間だけは豊富にありましたから、そこで複雑時計を作って生計を立てていくことが、独立性を維持する唯一の方法でした。その理念は、現在のオーデマ ピゲ社にも脈々と受け継がれています。
我々のミュージアム所蔵品中で、最も古いものは、1760年に先祖のジョセフ・ピゲが作った懐中時計ですが、それ以前からジュウ渓谷では時計製造は行われていました。8世代前の先祖が、13世紀に既に時計製造に従事していたという記録も残っています。
1875年にオーデマ ピゲが創業した頃、アメリカ式の効率を重視する生産システムの波がスイスにも上陸します。しかし二人の創業者はそれに迎合せず、手作りにこだわった時計を継続したいという意思を持っていました。1960年代末には、日本からクォーツウォッチがやってきます。正確さという機能では、クォーツの方が優っていましたから、我々の会社は、より複雑で、より審美性の高い時計を作る方向へと舵を切っていったのです。
ただ当時、複雑時計の耐久性は十分ではなく、いつでも、どこにでも時計を着けていくことは難しかった。しかし、腕時計の進化という観点からすると、高級な複雑時計を、日常的に着けられる時代が来ることは必至でした。そうした中、1972年に発表されたのが「ロイヤル オーク」です。
ご存知のように、ステンレススチール製のケースで非常に成功を収めましたが、そこにはジュウ渓谷の祖先たちが、鉄鉱石から高い価値を生み出してきたのと同様、スチールにジェラルド・ジェンタのデザインや堅牢性などの複合的な要素を導入して、高い価値を生み出すアプローチがあったのです。
今年、SIHHで発表した世界最薄のパーペチュアルカレンダーを搭載した「ロイヤル オークRD#2」も好例でしょう。アガキを最小限まで抑え、部品を薄型化し、さらにそれぞれのパーツに複合的な役割を担わせ、これまで3層構造だったものを、1層に収めることに成功しました。ケースはプラチナですが、内部を保護できる堅牢性を備えています。コンプリケーションを内包しながら、着けたまま日常生活どころかスポーツもできる時計。それは、我々のアプローチの伝統が集約された結果だし、これからもそんな時計を作り続けていきたい。
私には、9歳と14歳の娘がいますが、まだ時計を渡すときではありません。私にとって、会社とは自分たちに帰属するものではなく、ジュウ渓谷という地域に帰属するものなのです。時計とは何か、それを作るとはどういうことか、そこで働く人々にどう接し、会社にどう愛情を注ぐのか。それを、彼女たちがきちんと理解できたとき、おそらく時計を手渡すときが来るのではないかと思っています。
[時計Begin 2018 SPRINGの記事を再構成]
写真/平松岳大 文/まつあみ 靖