2018.07.11

おたくの細道 幻のブランドを受け継ぐリコーエレメックス「時計作りへの情熱」

試行錯誤の末に完成した幻の薄型モデルの復刻版

以前、このコーナーで「タカノ」という時計ブランドの物語を紹介した。正式名、高野精密工業株式会社は1938年に創業し、’57年に腕時計に参入。しかし、’59年の伊勢湾台風で本社工場が壊滅的被害を受け、「タカノシャトー」などの名作を生みつつも、たった4年11ヵ月で名前が消滅してしまう。今回は、その後のストーリーを追ってみようと思う。
伊勢湾台風で1億4000万円もの被害を受けた同社は、その後の業績悪化も重なり、ついに経営危機に陥る。2300人以上の社員を路頭に迷わすわけにはいかないと、政財界こぞって再建策が講じられた。提携先はセイコーなども噂されたが、事態は意外な方向に。それが当時、理研光学や西銀座デパートなどの三愛グループを率いていた市村清氏だった。氏は人員整理を一切せずタカノを引き受け、’62年、新たにリコー時計が誕生した(’86年リコーエレメックスに改称)。
新体制でまず取り組んだのが自動巻き時計の開発。そして発足からわずか2ヵ月後の’62年10月、初の自動巻き「リコー ダイナミックオート」を発表する。シャトー譲りの薄型で、見やすい日付表示を備えたこのモデルはすぐに評判となり、売り切れ店が続出。社員でさえ手に入らないほどの人気だったという。また同じ頃、米ハミルトンとの提携による「ハミルトン・リコー」を設立し、ベンチュラでおなじみの電池式腕時計も生産した。さらに大阪万博への参加にともない、’70年に発売した手巻き時計も、レトロフューチャーなデザインが魅力の1本だ。
それ以降はクォーツを中心に手がけてきた同社だが、タカノ時代から数えて80年目の今年、20年振りに「タカノシャトー」をモチーフとした記念モデルが登場した。技術畑出身の現社長の強い思い入れでプロジェクトは始まり、まずはスタッフが全国の時計店を巡ってタカノ時計を徹底的に研究。どうしたらタカノらしさを出せるか全員で悩み抜いた。一番のこだわり、金属加工では、ローターに直径0.1㎜の細穴加工を施し“TAKANO”の文字をあしらった。また、ムーブメントは同社OBである時計技師の力を借りて、汎用品をベースに自社で入念にリファイン。こうして出来上がった時計には、タカノへの愛情が詰まっていた。

 

EXPO’70
1970年3月の大阪万国博覧会開催に合わせ、同社が発売した手巻きモデル。時計全体に、桜の花びらを象る大きな万博マークをあしらったデザイン。文字盤と裏蓋にはEXPO’70のロゴ入り。

 

 

リコー ダイナミックオート
1962年10月に発売した「リコー ダイナミックオート」。リコー時計に改称後のファーストモデル。シャトー・ムーブメントを利用した薄型で、タカノ時代にはない自動巻きだった。

 

タカノシャトー
1960年10月発売の「タカノシャトー」。伊勢湾台風襲来の翌年に誕生し、"世界一の薄型時計"としてタカノを代表する1本となる。この製品の人気により、一時的に業績は回復するものの、2年後その名は消えることに。

 

中3針機構ながら厚さ3.5㎜のシャトー・ムーブメントを搭載。23石という石の多さも、品質の高さをうかがわせる。

 

タカノイズムを受け継ぐ記念モデルが発売

創立80周年記念限定モデル
創立80周年の今年、300本限定で発売されたタカノイズム継承の記念モデル。クロコダイルバンドのほか、メッシュブレスタイプも。15万円。同社腕時計サイト「Time-REX」のみで販売。

 

搭載ムーブは自動巻き。また、裏側はシースルーバックにするなど、現代的アレンジも。

 

ケースサイズは直径38㎜。厚さはボックス型のサファイアガラスを含めて9.4㎜となる。

[時計Begin 2018 SPRINGの記事を再構成]
文/岡崎隆奈