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2018.10.03
【小沢コージの情熱ですよ 腕時計は】NH WATCH代表・飛田直哉さん
びっくり挑戦!己がセンスとマーケティング力で独自の時計ブランドを作ろうとする男
驚きの機械式時計プロジェクトが発進した。NH WATCH代表取締役の飛田直哉さん。F.P.ジュルヌ、ラルフローレンウォッチで経験を積んだ、言わば筋金入りのマーケッターでありストラテジスト。売れる時計に対する嗅覚には絶対の自信を持っており、アンティーク時計をヒントにかつてない絶対的に美しい高精度時計を作ろうとしている。この前例なき挑戦。果たして勝算は?
PROFILE
飛田 直哉(ひだ なおや)/関西出身の55歳。生粋の物作り好きでプラモデル作りから始め、大学受験もせず、高校を留年してまで模型作りにハマる。その後はガイナックス系の会社でプロモデラーとして働き、27歳から時計業界に転職。日本デスコでエテルナ、ジャガー・ルクルト、モーリス・ラクロア、シイベルヘグナーでヴァシュロン・コンスタンタン、ブレゲ、ダニエル・ロート、エベルを担当し、その後F.P.ジュルヌ、ラルフ ローレンウォッチの日本立ち上げに関わる。豊富な経験を生かして今年3月に遂にNH WATCH株式会社を設立。12月にはいよいよオリジナル時計を発表!?
時計師でもない生粋のデザイナーでもない
小沢 聞いて驚きました。日本でウォッチブランドを作ろうとなさってるんですって。それもイチから。時計業界にはずっとおられたんですか。F.P.ジュルヌやラルフ ローレンウォッチの敏腕マーケッターだったそうですけど。
飛田 実は学校を出て最初に就職したのはホームセンターです。物心付いた頃から本当に物作りが好きだったので。でも入って初めてわかりましたが、あそこは単に材料を売るところなんですよね(笑)。
小沢 凄いピュアな方なんですね。好きなことに真っ直ぐに邁進する。
飛田 原点は中学生の時のプラモデル作りです。最初は戦車。それが飛行機、軍艦、自動車となって。
小沢 いつから時計への興味が。
飛田 その後です。私はとにかく物作りがやりたくて、大学へ行かずに高校を留年してるくらいで。
小沢 マジですか。当時は何に。
飛田 ガレージキットにハマって、いろんな原型を作ってました。
小沢 それがこの箱のRX– 7?
飛田 昔、エヴァンゲリオンで有名な庵野秀明さんがいたガイナックスって会社がありまして、私はその関係会社でガレージキットを作っていました。
小沢 日本のアニメは世界レベルですもんね。では時計業界にはいつ。
飛田 時計は中学時代から好きで、後にジウジアーロの時計に惚れ込みました。仕事としては’90年、地元関西の代理店に就職してジャガー・ルクルトを担当してから。
小沢 時計ブームの直前ですね。
飛田 当時レベルソは全然知られておらず単にひっくり返る面白い時計という認識。スイス本国ではカリスマ経営者のギュンター・ブルムラインがトップに座った後です。
小沢 まさに時代の変わり目だ。
飛田 その通り。当時、日本の高級時計ビジネスと言えば、百貨店の外商がお金持ち宅に金無垢時計を持ち込むのが一般的でした。
小沢 地位の証の高級時計。
飛田 でもそのタイミングで若い世代がルクルトなどの機械式時計に興味を持ち始めて、私のやり方が物凄くハマったんです。
小沢 物作り好きとしての考え方やトーク力が生きたわけですね。
飛田 そうかもしれません。仕事も最初は販売店向けの卸でしたが、4年後にはより高くてマニアックな時計が扱いたくなってシイベルヘグナーに移る。雑誌も『オロロジ』などの海外時計専門誌を読み込むようになる。
小沢 自ら営業マンという枠に囚われずにデザイン、経営へと仕事の幅を広げていくんですね。
飛田 逆に言うと時計業界の営業でも時計好きって案外少ないですから。
小沢 とはいえ時計作りに踏み切るにはやはりなにかきっかけがあったのでしょうか。
飛田 やっぱり’96年から関わってた某老舗高級ブランドでしょう。当時マーケティングとプロダクトマネジメント部門の空きが出てちょうどそこに入るんです。
小沢 どんな時計が日本に求められているか調べ、商品を選ぶ係?
飛田 そうです。当時日本マーケットは大きかったので、企画からデザインまで任せてくれました。
小沢 ええ? デザイナーでもない日本人にいきなりデザインを任せるスイス高級ブランドがあった?
飛田 実際、’98年の日本限定モデルは私のデザインですから。
小沢 とはいえデザインっていうより実質アレンジですよね?
飛田 当時はとあるリバイバルモデルの50周年だったので、ムーブメントを指定し、ケース素材を決め、厚さや文字盤デザインを描いて本国に送りました。その後このムーブは使えないなどのやり取りがあってディテールが決まって。
小沢 とはいえ凄い。単なる時計好きの営業マンが、実力で時計デザイナーになったんですね。
飛田 いろいろラッキーだったんですよ。当時そのブランドが巨大グループに入ってなくて比較的風通しが良かったりとか。結局そのまま2000年、’01年、’02年、’03年と私の担当作があります。
小沢 僕のもう一つの専門の自動車業界でも、ポルシェ・ジャパンのスタッフが新型限定911のカラーリングを決めたなんて聞いたことない。
飛田 それまでも商品戦略を提案する上で、細かくイラスト付けたり「アイツ描けるな」って思って貰ってましたから。例えばスーツを作るとして、今年は襟を高めにしようとか、ラペルが広い方がいいよねと提案するイメージです。
小沢 結局デザインは肩書じゃなくってセンスだってことですね。
飛田 時計作りに踏み切ったもう一つのきっかけは、時計業界の’90年代にありがちだった、ブランドは素晴らしいのに、自らの財産であるアンティーク時計の素晴らしさに気づいてなかったこと。かつてこんなに素晴らしいのを作ってたのに今じゃコレか? みたいな。
小沢 僕に言わせるとブランドクリエイターというかストラテジストですね。単純にいい時計デザインを描くのではなく、マーケットの動向や需要を知り、膨大なヘリテイジの中から要素を選びだし、最適解を導く。で、結局飛田デザイン時計は売れたんですか?
飛田 1作目は半年で6~7割ぐらいは売れたはず。
小沢 凄いじゃないですか。いきなり打率6割強って。でもそこからなんで独立を考えるんですか。
飛田 向こうにはやはりデザイナーがいるんで、最後はこちらの思い通りにはしてくれないんです。コストの問題やブランドポリシーに反するからココはダメとか。
小沢 やっぱりトコトン自分の好きな時計が作りたいんですね。
飛田 私は今、50代で一番リスクが少ない時期なんです(笑)。
小沢 羨ましい。ところでこれからどういう戦略で行くんですか。
飛田 5年前から準備し、日本でも若手で時計を作りたい人が増えています。今年3月にはNH WATCHを立ち上げて。
小沢 ムーブはフルオリジナル?
飛田 一部はスイスから買ってますが、一部の製造技術は日本の方が優れているので日本です。
小沢 ブランド名はどうします?昔の名前をスイスから買うとか。
飛田 そこはすごく悩みましたがやはりNH WATCHで。既に日本には浅岡 肇さんや菊野昌宏さんの凄いブランドもありますし。
小沢 マ、マジで? でも浅岡さんや菊野さんはクリエイターとしての実力はもちろん、実はスイスの独立時計師アカデミーというスターシステムに則ってます。それなしで勝算は一体どこに?
飛田 そこはやはり、クラシックな時計スタイルを現代の最新テクノロジーで作り上げること。誰も見たことがないような美しい時計になるはずですよ。見たことあるようなんだけど見たことがない。
「ある意味、トヨタ2000GTを今の技術で復活させるような?」
小沢 言わばトヨタ2000GTを今のスイスと日本の職人技術で作るようなイメージですか?
飛田 そんな感じです(笑)。
「誰も予想しなかった美しい時計になるはずです」
[時計Begin 2018 AUTUMNの記事を再構成]
文・写真/小沢コージ