2019.12.31

小沢コージの「情熱ですよ 腕時計は」~AHCI準会員になった日本人独立時計師・牧原大造

元料理人で遅咲きの日本人時計師が江戸切子ダイヤルでAHCI準会員に !

今回は初の当連載2回目の登場!まさに人生波乱万丈だ。元は料理人。しかし、時計好きが高じてヒコ・みづのに入学し、TVの突撃取材を受けてスイスへ。フィリップ・デュフールさんの手解きを受けて時計作りに開眼。さらに優れた硝子職人と出会って、自ら美しい江戸切子文字盤を発案、見事AHCI準会員に。すべてのターニングポイントは「出会い」だった。

PROFILE
牧原 大造(まきはら だいぞう)/1979年生まれの40歳。名古屋出身だが父親が転勤族で東京にも在住。高校卒業後に料理人、保育士、時計師で迷い、調理師専門学校で1年間学び、27歳まで料理人。友人から時計学校ヒコ・みづのの存在を教えられ入学。2年間時計修理、3年目で時計作りを学び、30歳から研修生。自らのブランドを立ち上げ、昨年スイスの独立時計師アカデミー、AHCIに応募。申請者ということでバーゼルワールド2019に出品。1作目の「菊繋ぎ紋 桜」が認められて準会員になる。

 

「26歳まで僕は時計学校の存在すら知りませんでした」

やっぱり日本の伝統工芸を取り入れたい

小沢 連載初の2回目登場です。前に出ていただいたのは確か4年前の夏でしたよね。独自の彫金技術を駆使してショップのオリジナル時計を作られてた。

牧原 そうです。当時何本か「DAIZOH MAKIHARA」作を出させていただき、当時はユニタス64をベースに、地板や歯車を研磨し、オリジナルブリッジを作り、彫金を施していました。

小沢 同時に他でも働いてらっしゃいましたよね。しかも当時からスイスの独立時計師アカデミー(AHCI)入りを目指してた。

牧原 街の時計店で普通に働いてました。受付とか電池交換とか。

小沢 それが今年驚きましたよ。見事スイスのバーゼルワールドで認められてAHCI準会員に!

牧原 ありがとうございます。ヒコ・みづのの先生方からも、菊野昌宏さんに続きヒコ出身者から2人目のアカデミーのメンバーが生まれたらいいねと言われてて。

小沢 しかもこの作品の「菊繋ぎ紋 桜」が実に素晴らしい。一体どうやって思いついたんですか?

牧原 2017年に個人ブランドを立ち上げるんですが、そもそもニッポンの伝統工芸を取り入れたいという思いがあって、しかも調べて行くと職人の高齢化による跡継ぎ問題もあるし、何とか時計業界からでも繋ぎ留めるべきだと。そしたら江戸切子を文字盤に出来ないかと気づき、誰かやってるのかなと思ったら誰もやっていなかった。

小沢 ベゼルに使われた例はあるみたいですけどね。

牧原 直線が均一に入っているんですね。

小沢 最近国産ブランドで和紙を使ったダイヤルとか、漆とか有田焼素材も見たことありますけど、確かにダイヤルではないです。そもそも切子って何でしょう?

牧原 江戸切子は江戸時代に江戸で生まれた、硝子細工の技法なんですけど、硝子のコップやお皿にダイヤモンドの回転刃を当てて切ると言うより削っていくんです。ダイヤルでは今回が世界初。

小沢 凄くいいアイデアですよね。まさにこの手があったのか! って感じ。単純に淡くピンクがかってキレイなだけでなく、和の繊細さもある。特にこの色は男性はもちろん女性にも受けるし、世界に通用するオリエンタルな美かと。

牧原 ありがとうございます。これが切削中の動画なんですが。

小沢 うわ凄い。電動の回転ディスクを使って直接手で削るんだ。

牧原 はい、フリーハンドです。一般的には格子模様が有名ですが、他にも曲線とか鳥とか様々な模様があります。最近では結構、若い人も興味を持っていて。

小沢 ってことはコレ、牧原さんが直接カットするわけではないと。

牧原 違います。全部、ミツワ硝子工芸の「硝子工房 彩鳳」の職人さんにお願いしています。そもそも日本の伝統工芸は国が定めたものなので、ちゃんと資格を持った人じゃないとやっちゃいけない。でないと伝統工芸と呼べないので。

小沢 そりゃそうだ。

牧原 そもそもダイヤルに江戸切子を使いたくて、全国の職人さんに連絡を取ったんですけど、なかなか受けていただけるところがなかったのですが、ミツワ硝子工芸さんに試しに1回やってみるかと言っていただいて。

個人ブランド1 作目にしてAHCIに認められた作品が「菊繋ぎ紋 桜」。ユニタス64をベースに地板や歯車を自ら研磨。その上に、ミツワ硝子工芸の職人さんが1 枚1 枚手作業で作った江戸切子の文字盤を載せる。裏の地板には自らエングレービングした桜模様。硝子素材は硬いサファイアガラスではなく、クリスタルガラス。

小沢 当然ダイヤルは初めて?

牧原 もちろん初めてです。小径なのもそうですけど、コンマ8㎜の硝子板を削るというのが難しくて。

小沢 細工も細かくて複雑ですし、バキッと割れちゃいそう。

牧原 最初のほうこそ割れちゃいましたという報告がありましたが、今は皆無。今回は菊繋ぎ紋といって、菊を繫いだような模様ですが、これ以外にも桜とか富士をワンポイントで入れることができます。つまりそれを組み合わせてムーンフェイズも作れる。

小沢 切子にはまだまだ先があると。ちなみに裏面の桜の彫りは?

牧原 全部僕です。

小沢 実際にお客様の評判は?

牧原 外国の方はアメージング!の連発。そもそも硝子のダイヤルなんて見たことないですしね。

小沢 だから時計ってやっぱりアイデアなんですね。この切子で浮世絵を表現するってどうですか。これまた絶対に受けそうですけど。葛飾北斎の大波とか。

牧原 面白いと思います。以前見た硝子工芸で富嶽三十六景を表現したものがありましたが、どうやら砂を吹き付けるサンドブラストで切子とは違う。ただ、職人さん次第ですけど、鳥とか結構入れたいなと思ってます。それ以外も可能性は広くて、今回は文字盤でしたけど、トップの硝子にも入れられるし、裏スケにも入れられる。側面にもその気になれば。

小沢 凄い。こりゃ時計界の硝子の魔術師になるっきゃない!

牧原 いやいや(笑)。

 

「デュフールさん、江戸切子。すべては出会いですよ」

26歳まで僕は街の料理人だった

小沢 ところで元は料理人だったとか?

牧原 高校を卒業後、料理人の道に進んで8年働きました。その時の友人にヒコ・みづのの存在を教えて貰って27歳で入学。

小沢 そこまで遅咲きでしたっけ。

牧原 そうなんです。時計は料理人時代から好きでしたが、時計学校の存在すら知らなくて、お金を貯めては買ってという感じで、最初はスピードマスターを買いました。同時にデイトナも欲しくて。

小沢 王道ですね。しかしそこからよく方向転換しましたね。しかもヒコ・みづのの段階では時計修理だけで作る気はなかった。

牧原 当時はロレックスに入りたくて。時計作りに目覚めるのは2年生の時に出会った時計師のフィリップ・デュフールさんで、たまたまテレビの突撃取材で抜擢され、スイスに時計修業に行くことに。

小沢 そこでスイッチ入ったと。

牧原 入っちゃいましたね。実際にお会いしたのはたった2日間なんですけど凄い濃密な時間で、2年で卒業して就職しようか迷いましたが研究生コースに入ってまた1年。その時の先生が菊野昌宏さんで。

小沢 AHCIの先輩だ。

牧原 そうなんです。しかもたまたま菊野さんがAHCIに応募するタイミングで、まさに目の前で和時計のプロトタイプを作ってて。

小沢 めちゃくちゃタイミング良くないですか? デュフールさんの後は日本で最初の独立時計師の菊野さんが応募作を作る時に遭遇。

牧原 出会いは大きいです。今回、AHCI応募の時も、基本はネットで申請書と履歴書、工房の写真と申請する時計の製作過程を送って返事を待つんですが、次の段階は推薦者を決めなさいと。その点、僕は運良く近くに日本人の独立時計師が2人もいるじゃないですか。浅岡 肇さんと菊野さんが。

小沢 しかも菊野さんは学校の先輩。まさに人生は出会いですね。

牧原 本当にそう思います。

埼玉にある自宅兼アトリエにて。時計作りのためにイチから作った住居と一体の平屋造り。

追求するのは古典とモダンの融合。面取りや道具の使い方はフィリップ・デュフール氏直伝のクラシックな技法を守り、基本すべてを手作業で行う。一方、ケース作りや切子ダイヤルなどには最新技術を可能な限り使う。ちなみにケースも日本メーカー製。

得意技はエングレービング。時計学校時代に日本人エングレーバー金川恵治氏の技術に刺激を受け、独学で学んだもの。

 

[時計Begin 2019 AUTUMNの記事を再構成]
文/小沢コージ 写真/谷口岳史   構成/TAYA