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2019.12.13
【受け継ぐ時計】独立時計師界の重鎮スヴェン・アンデルセンが語る、名作時計の誕生秘話
発明に次ぐ発明の「原点」
独立時計師アカデミーの創設者にして、ワールドタイマーやカレンダー機構のスペシャリストとしてリスペクトを集めるスヴェン・アンデルセン氏。彼の人生を変えた時計とは? ロジェ・デュブイ氏、フランク・ミュラー氏はじめ、インタビューに登場する豊富な人脈も興味を引く。
「顧客の声に応える時計作りに喜びを感じます」
人生を変えたボトル・クロック
まだ20代だった私の人生を一変させた時計のことからお話ししましょう。名門時計店ギュブランのジュネーブ店で修復や販売の仕事に携わっていた当時のことです。新年を迎える瞬間、時計の針の動きを見ていたら、フッとあるアイデアが浮かんだのです。時計をボトルの中に入れたらおもしろいんじゃないか、って。仕事のかたわら、製作に取り組み始めました。
全てのパーツはボトルの口から入る18㎜以下。ボトル内で組み立てるためのツールも自作しました。製作に6カ月を費やして完成させ、ある展示会で披露すると予想以上の反響で、通信社を通して世界各国にこのニュースが広がりました。「不可能を可能に変えた時計師」なんていう見出しで(笑)。
この時計の注文が舞い込んできて、全部で38ピースを製作しました。注文されるボトルは形もさまざまですから、全てがユニークピース。時計の外側にウィスキーを入れられる二重構造ボトルのモデルも作りました。
この時計が話題となり、当時のパテック フィリップ社長アンリ・スターン氏が連絡をくれたのです。彼の面接を経てパテック フィリップのコンプリケーション部門に籍を置き、クロノグラフやパーペチュアルカレンダーなどを手掛けました。私の隣にはロジェ・デュブイさんがいましたよ。
その頃はワールドタイマーにも情熱を注ぎました。ワールドタイマーの開発者として知られる時計師ルイ・コティエの関わっていた当時のモデルが、パーツとして残されていて、これを使って12モデルを完成させました。
9年間のパテック フィリップ在籍を経て独立後も、ワールドタイマーに力を注ぎました。最初のモデルは、フレデリック・ピゲ社製のスモールムーブメントに自作の薄型のモジュールを重ねたものでしたが、パテック フィリップ時代のルイ・コティエ式のモジュールは厚さ1·6㎜。これを、文字盤も含めて0·9㎜にまで追い込みました。その後、他ブランドからも発表されていますが、だいたい1·2㎜前後。私の領域には届いていません。だから私のワールドタイマーは薄くエレガントなんです(笑)。そして『コロンブス・ウォッチ』、2004年にはタイムゾーン決定の契機となった国際子午線会議から120周年を記念し『1884』というモデルも発表しました。ワールドタイマーは、時計の中にさまざまな国が入っていて、イマジネーションを搔き立てる。それが大きな魅力ですね。
「ボトル・クロックにより『不可能を可能にした時計師』と呼ばれました」
独立から、アカデミー創設に至る道程
’83年には、パテック フィリップから歴史的な懐中時計の修復を依頼されました。ブランドの歴史に関する書籍に、これを載せたかったようです。でも多忙につきお断りしたら、また頼んでくる。そこで、時計学校を卒業したばかりの若い時計師がうちのアトリエに入ってきたので、彼にやらせてみることにしました。それがフランク・ミュラーでした。当時から彼はいい腕を持っていましたね。それから3年間で19世紀から20世紀のパテック フィリップの名品を、彼とともに約80個修復しました。
カレンダー機構のモデルもいろいろ手掛けました。セキュラー・カレンダーは開発に苦労したひとつです。グレゴリオ暦上の400年周期のイレギュラーな閏年に完璧に対応するもので、通常のパーペチュアルカレンダーに、さらにモジュールを増設する必要がありました。これをいかに薄くするかという課題に取り組み、400年周期と4年周期とを一体化した歯車など新機構を開発しました。
パテック フィリップが、史上最も複雑な時計として発表した「キャリバー89」にもセキュラー・カレンダーが搭載されていますが、これに関わった時計師たちからもアドバイスを求められました。彼らとは顔見知りでしたから、喜んで引き受けましたよ。
ヴィンセント・カラブレーゼと一緒に独立時計師アカデミーを設立したのは’85年のことです。’80年代の初頭にはクォーツが主流で、機械式は時代遅れとみなされていました。それでも愛好家から、機械式時計を求める声が徐々に独立時計師のもとに届くようになってきたのです。それでみんなで力を合わせてやろうということになったのです。一人ではバーゼルにブースを構えることも、情報発信も難しいですが、グループとなるとそれが可能。私の妻もアカデミーの秘書兼広報担当みたいな形で協力してくれて、プレスリリースが功を奏し、初年度から12もの雑誌が取り上げてくれて、徐々に知名度も上がっていきました。
現在のアカデミーは正会員30名の規模になりました。ロシア出身のコンスタンチン・チャイキンがプレジデントを務めてくれています。彼とコラボして「ジョーカー」というモデルの裏側に、オートマタを組み込みました。プレジデントである彼と、創設者である私がジョイントすることは、アカデミーを将来につなげていく上で有意義ではないかと思ったんです。
60年間時計製作の仕事に携わってきて、やめようと思ったことは一度もありません。私がやってきたことは、進化し続けている。自分がやりたいと思うものを作るより、こんな時計が欲しいという顧客の要望に応えることに喜びを感じます。新しい時計のアイデアもあります。今はみんなCADで設計しますが、手描きの漫画で設計するムーンフェイズ・パーペチュアル・カレンダーの構想を進めていますよ(笑)。
[時計Begin 2019 AUTUMNの記事を再構成]
写真/山下亮一 文/まつあみ 靖 構成/TAYA