2022.06.09

美しく高精度な機械式腕時計を生み出す情熱と審美眼の持ち主【松山猛の時計業界偉人伝】

飛田直哉氏(NH WATCH株式会社代表)

飛田直哉(ひだ・なおや):1963年、京都生まれ。2018年にNH WATCH株式会社を設立。美しく高精度な「NAOYA HIDA & Co.」の時計は世界中の時計愛好家から高い評価を得ている。

松山さんがこれまでに出逢った時計界の偉人たちとの回想録。
今回は、自らの時計ブランド「NH WATCH」を立ち上げた飛田直哉氏。

高精度かつ美しいその時計は世界の時計愛好家が絶賛

時計への情熱が高まり、ついには自分の名前を冠した時計ブランドを立ち上げた人が、飛田直哉さんだ。

日本の高い工作技術を駆使して作られるNAOYA HIDA&Co.の時計は今、世界の時計愛好家からその素晴らしさを高く正しく評価されるようになった。

その飛田さんと僕の付き合いも随分と長いものとなった。

最初に出会ったのは彼がスイスの総合商社シイベルヘグナーに入社した頃で、彼の記憶によると1995年のバーゼルワールドの会場でのことだったという。

彼の凄いところは記憶力の素晴らしさで、そういう年代はもとより、ホームセンターに勤めていた時に蓄えた時計の知識や、様々な時計のリファレンスナンバーなどが、すっかり頭の引き出しに入っていて、即座に答えが返ってくるのだが、今回もいろいろな話をしていて、僕のおぼろげな記憶の部分も、鮮明に覚えていてくれることに驚いた。

 

確かな審美眼はどのようにして形成されていったのか?

飛田さんは1963年の生まれで、僕と郷里を同じくする京都人。

学校を卒業しホームセンターのスタッフとなったのは、やはり物づくりに興味があったからだそうだ。その後はレジンなどの樹脂を型に流し込んで成型し、車やフィギュアなどの模型を作るための、ガレージキットの原型師をしたり、映画の特殊撮影のスタッフなどをしたりしていたが、やがて以前から好きだった機械式時計の世界への興味が高まり、時計輸入会社の門をたたく。

最初に入ったのは1990年当時オーデマ ピゲやジャガー・ルクルト、エテルナの輸入代理店だった日本デスコ社の大阪支店だったそうだ。

その頃の飛田さんは、現行品よりもヴィンテージ・ウォッチのほうに魅力を覚えていたそうだが、ちょうどジャガー・ルクルトが、伝説の時計“レベルソ”の60周年記念モデルを発売し、また今日にも続くマスター・コントロール・シリーズを発表するなどした時期であり、その素晴らしさに魅了されて、現行品を扱うビジネスの世界で働こうと考えたのだそうだ。

もちろん彼がその時ヴィンテージの世界に足を踏み入れていても、その世界で何かを成し遂げたであろうことは間違いないが、ヴィンテージ・ウォッチと違って、現行品は次々と革新されながら新製品が登場するから、その変革の面白さの最中に、彼という存在がいてくれたことが素晴らしかったと僕は思う。

「ホールセールスの営業のために関西と九州地区を担当し、デパートの外商の人と顧客を訪問して、時計を買ってもらうということも経験しました」

きっと飛田さんの微に入り細にわたる、その時計の素晴らしさの説明に、お客さんはさぞかし魅了されたに違いない。

「日本デスコで働くうちに、パテック フィリップやブレゲなどのブランドが作る時計が好きになりました。そこでブレゲを輸入していた日本シイベルヘグナーの大阪営業所に入社したんです」

そして飛田さんはこのようにも言ってくれた。

「ブレゲに興味を持ったのは、間違いなく松山さんの著作の影響が大きかったからですよ」と。これは書き手としては、とても名誉なことだと思った。

こうして彼は、当時日本で最も多くのスイス時計ブランドを輸入販売していた日本シイベルヘグナーの社員として、様々な時計を扱うことになったのだった。大阪営業所での勤務だったが、実力が見込まれたためにバーゼルワールドに送り込まれ、そこで彼は時計関係の取材者たちと触れ合う機会を持ち、そして僕たちは出会ったということらしい。

当時の日本シイベルヘグナーは、ヴァシュロン・コンスタンタンをはじめ、ブレゲ、ダニエル・ロート、エベル、後にはロジェ・デュブイ、ハリー・ウィンストン、ユリス・ナルダンなどの錚々たるブランドを扱っていた。

その中にはスケルトン時計の匠アレクシス・ガラン、スプリット・セコンド・クロノグラフで有名だったダービー&シャルデンブランなどの、マイナーだが時計ファンを楽しませてくれるブランドもたくさんあったのだ。

飛田さんは1996年に東京に転勤となり、マーケティング部で存分に腕を振るうことになった。その頃は僕も日本シイベルヘグナー扱いのブランドに密着して取材する機会が多かったので、飛田さんにも時計について聞くことがたくさんあったものだ。

飛田さんはこの時代、各社の日本向けの特別な限定モデルの企画や、デザインに関わる機会があり、昔から好きだった物づくりの楽しさを堪能することになる。「夢中になってその仕事をしましたが、やはりそこには難しさもあり、限界があることを痛感したものです」と彼は言う。

日本というのは当時から世界でも大きな機械式時計のマーケットであり、また時計に関心のある消費者も多い。だが、そのような時計愛好家が好む時計を提案しても、スイスのブランド側にはなかなか伝わらないこともあったに違いない。それでも彼がユリス・ナルダンに提案し、成功した時計のことなどを、僕もよく記憶している。

やがて日本シイベルヘグナーが取り扱っていた、様々なブランドが異なるグループに移籍し、日本法人が生まれるなど、時計業界に大きな変化が始まる。

飛田さんはそんな時代に、毎年スイスでの時計フェアに参加するようになり、そこでスイスの時計産業を牽引する人々と親交を深め、またその本社や工場で時計作りの世界での見聞を広めていき、それが彼にとってかけがえのない大きな財産になったという。

そんなある日、2004年のジュネーブにおけるSIHHで、フランス生まれの時計師フランソワ・ポール・ジュルヌ氏との出会いがあり、その世界に魅了されて転職を決意することになった。

ちょうどジュルヌ氏が、世界初となるブティックを東京で始めた直後で、セールス・ディレクターとして入社する。ジュルヌ氏の時計を販売する、世界で唯一のブティックであったため、世界各地から様々な人が訪れるのに対応し、日本語と英語で時計を販売するという経験を積んだのも、幸運なことだった。また数年後経営責任者が退くと、飛田さんがその責任ある立場となり、会社経営の経験を積むことになる。

フランスという科学の国で花開いた時計の世界に、大きな足跡を残した時計師たちの偉業を現代によみがえらせ、さらに新しい機構を組み込む時計師、フランソワ・ポール・ジュルヌ氏の時計を世に広める仕事は、困難を伴っただろうが、その反面楽しくもあっただろうと想像する。

そして飛田さんは、さらにそこから一歩踏み出し、リシュモン・グループが新しく展開を始める、ラルフ ローレンのウォッチ部門の、日本における責任者としての仕事に就く。

彼によると、ラルフ ローレンの世界はファッションを通じて好きなものだったそうだ。確かに飛田さんはお洒落の世界にも通じた人で、いつも素敵なコーディネートでファッションを楽しんできた人だ。

ラルフ・ローレンという人は、ヴィンテージ・ウォッチのコレクターでもあり、その彼が自身のファッションの世界にマッチする時計製作に乗り出すのは当然の流れであっただろうと思う。飛田さんはその世界観に共感し、ブランドを日本に定着させるのに、存分に力を尽くした。その結果ラルフ ローレンの時計は、そのファンの手元に届けられたのだと思う。

 

「高精度」で「美しい」NH WATCHの誕生

そして飛田さんはついに、長年の夢であった自身の思いを存分に込めた、オリジナル時計作りの世界へと歩み始めるのだ。

仕事を共にしてその技術の高さを認めた時計師の藤田さんと、もう一人彫金師の三人で、理想の時計作りチームを組んだのが2013年。2018年にプロトタイプTYPE 1Aが完成したが、販売はせずに翌年の発表のための準備期間とした。

2019年にNH TYPE 1Bを7ピース販売し、その後生産を止める。次いで2020年にはNH TYPE 1Cを15ピース販売する。その後はNH TYPE 2B、TYPE 3Aとモデルは発展していくが、いずれもごく少量の生産本数にとどめている。

ムーブメントのベースには、定評のある7750を採用し、それを自分たちで最終仕上げしていると聞く。7750は精度が高い汎用ムーブメントだから、部品の供給も多く、いつまでもメンテナンスの不安がないものだから採用したと飛田さんは言う。僕は、飛田さんの作る時計だから、往年の様々な名ムーブメントを探し出して使うと思っていたが、現実的なその選択を聞いて、なるほどと納得した。だからTYPE 1は9時位置に秒針がある。そしてTYPE 2はセンターセコンドとなった。

昨年発表されたTYPE 3は、彫金師が腕を振るった、お月様の顔が素敵なムーンフェイズ時計となった。ムーンフェイズ好きの僕は、このシリーズが作り続けられるなら、いつか手に入れてみたいと思うのだ。計算され尽くしたとてもシャープなデザインのケースも、長く使い続けたくなる時計の条件を満たす。

こうして自分の時計への愛と夢を実現した飛田さんは、身近なところにいた時計世界の偉人の一人だと言えるだろう。

 

2021年発表の「NH TYPE 3A」。18KYG製のムーンフェイズディスクには手彫りで星が刻み込まれ、18KYG製の月は、別部品で成形されたのち手彫りで顔が彫り込まれている。手巻き。径37㎜。SSケース。レザーストラップ。264万円。完売。

2021年発表の「NH TYPE 3A」。18KYG製のムーンフェイズディスクには手彫りで星が刻み込まれ、18KYG製の月は、別部品で成形されたのち手彫りで顔が彫り込まれている。手巻き。径37㎜。SSケース。レザーストラップ。264万円。完売。

2021年発表の「NH TYPE 3A」。18KYG製のムーンフェイズディスクには手彫りで星が刻み込まれ、18KYG製の月は、別部品で成形されたのち手彫りで顔が彫り込まれている。手巻き。径37㎜。SSケース。レザーストラップ。264万円。完売。
2021年発表の「NH TYPE 3A」。18KYG製のムーンフェイズディスクには手彫りで星が刻み込まれ、18KYG製の月は、別部品で成形されたのち手彫りで顔が彫り込まれている。手巻き。径37㎜。SSケース。レザーストラップ。264万円。完売。

NAOYA HIDA & Co.公式サイト

[時計Begin 2022 SPRINGの記事を再構成]