• このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

PANERAIの歴史

イタリア海軍用ミッション・ウォッチを出自とするパネライは、長く存在が秘匿されてきた。
しかも1966年の大洪水で資料が散逸。パネライの歴史の大半は、謎のベールに包まれている。
ゆえにミステリアスであることもパネライの魅力。わずかに開いたベールから、その歴史を垣間見た。

パネライの創設者、ジョヴァンニ・パネライ氏
1825年生まれ。1860年にイタリアのアッレ・グラツィエ橋の橋脚にある建物で、フィレンツェ初の時計店を開業する。時計の販売だけでなく、修理部門も持つ先見の明で、事業を大きく拡大させた。

イタリア海軍からの信頼を勝ち得て時計製作技術を研鑽

極秘裏に作られてきたミッション・ウォッチ

パネライの歴史は、1860年にイタリア・フィレンツェに開業した「スイス時計店」に始まる。創業者はジョヴァンニ・パネライ、創業の地はアルノ川に架かるアッレ・グラツィエ橋。やがて橋の拡張工事で移転を余儀なくされ、市内を転々としながら規模を拡大し、イタリア初の時計学校としての機能も持つようになったという。単に時計を売るだけでなく、修理・組み立て、職人の育成まで行ったことが今の時計ブランド「パネライ」の礎となった。
1910年代にイタリア国鉄と海軍への時計納入業者となったスイス時計店は、1916年に強力に自発光する夜光塗料ラジオミールの特許を取得。それを用いて製作した様々な水中用計器は、イタリア海軍からの信頼をより強固なものとした。そして1930年代初頭、イタリア海軍は時計製造技術も持つスイス時計店にミッション・ウォッチの製作を依頼する。かくして1938年、イタリア海軍に正式に納められた時計こそが、今あるラジオミールのルーツだ。
以降、数々のミッション・ウォッチを極秘裏に製作し、安定成長を続けてきたパネライに1990年代初頭転機が訪れた。東西冷戦の終結によって軍事機密としての時計の役割を終えたのだ。そしてパネライは1993年、ついに初の民間用腕時計をイタリア市場向けに発表。1997年にはヴァンドーム・グループ(現リシュモン・グループ)傘下となり、世界デビューを果たす。軍事機密というベールを脱ぎ棄てたパネライ・ウォッチは、機能的かつ個性的な外観で、またたく間に大ヒット。自社のルーツを守りながら、現在に至るまで順調に成長を続けている。

パネライを着けたイタリア海軍特殊潜水部隊
おそらく1920年代のイタリア海軍潜水士。ミッションを遂行する腕には、パネライ社製の水中用コンパスが装着されている。そのインデックスには、ラジオミールが使われていて、強力な発光で暗い海中でのミッションをサポートした。

パネライの前身 Orologeria Svizzera(スイス時計店)
スイス時計店は、橋の拡張工事で移転を余儀なくされ、フィレンツェ各地を転々した後、1880年ごろに現存するサン・ジョヴァンニ広場に店舗を構えた。スイス製時計を販売する店の奥には、修理工房も併設されていた。

1938年にイタリア海軍に納入したラジオミール
クッション型ケースや4方向アラビア数字のダイヤルなど、今のラジオミールと外観は近似。写真はデモンストレーション用に製作された1 本で、ベゼルには「オフィチーネ・パネライの特許品」を意味する文字が刻まれる。

1936年に初めて作った腕時計の復刻版PAM00424
1936年に製作された最初のプロトタイプは、ローマ数字とアラビア数字が上下に区分されたダイヤルを特徴とする。これはその復刻モデル。忠実に再現されたダイヤルのデザインは、カリフォルニア・ダイヤルの愛称を持つ。

現代のミスターパネライ アンジェロ・ボナーティ氏
カルティエのイタリアでのマーケティング責任者を経て、1997年に当時のヴァンドーム・グループによるパネライ復活プロジェクトの責任者に抜擢。巧みなブランド戦略により、今あるパネライのスタイルを築いた。

OTHER CONTENTS 他のコンテンツ

  • 工房

  • ムーブメント

  • ラインナップ

  • すべて見る