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2020.04.03
50年ぶりに明かされる「世界初の自動巻きクロノ」開発秘話~小沢コージの「情熱ですよ 腕時計は」
世界で最初に自動巻きクロノを開発した男
今から50年前に、世界で熱い開発競争が繰り広げられていた自動巻きクロノグラフ。実は、日本の諏訪精工舎がそれを制したと言われているのだ。しかも2019年はその50周年記念クロノグラフも発売。今回は1969年に量産型として世界初の自動巻きクロノグラフ、61スピードタイマーを開発した大木俊彦さんを直撃。御年82歳である。
PROFILE
大木俊彦(おおき としひこ)/1937年生まれの82歳。東京工業大学を卒業後、’62年諏訪精工舎入社。開発部に配属され、’64年国産初の手巻きクロノグラフ、クラウン クロノグラフの開発を担当する。その後、当時大ヒットとなった61系自動巻きムーブメントを完全新規開発。当時圧倒的な薄型軽量と耐久性を誇った。その後61系をベースに量産型として世界初の自動巻きクロノグラフムーブメントを開発。’69年5月に61スピードタイマーが発売される。その後は電子時計を担当した後、世界をリードするドットプリンター、インクジェットプリンターなども開発する。
「世界で最初かどうかは全く気にしてないですよ(笑)」
当時はスイスに追い付け追い越せでした
小沢 先日の東京モーターショーで月面タイヤの開発話を聞いたんですが、改めて日本の物作りは凄かったんだなと。特に世界に追い付け追い越せという意味では、1960〜’70年代ぐらいが激しかったと思います。大木さんは’69年に量産型として世界初となる自動巻きクロノグラフを開発し、その前の’64年には国産初のクロノグラフを開発されていますが。
大木 結果的にそうなっただけで。
小沢 しかし大木さんの入社は’62年。2年目の新人がなぜあんな大仕事をすることになったんですか。
大木 さあ(笑)。僕がクロノグラフの知識を持っていたとかじゃなく、当時設計者は10人ぐらいだし、誰もやったことないから新人もベテランも同条件だったし。
小沢 当時クロノグラフは時計界ではどういう位置づけでした?
大木 ストップウォッチを第二精工舎(現セイコーインスツル)が作っていて、諏訪精工舎ではプリンティングタイマーといって、マラソン競技なんかのゴール時間を記録するマシンを作っていました。そんな中、なにか記念になる商品が出せないかと。
小沢 今みたいなブームになるとは思ってなかったんですね。
大木 サンプルもなく、本を見て構造を考えるしかなくて。本自体、手に入れるのも大変で、海外から会社の人が買ってきたんです。
小沢 まさに時計黎明期ですね。
大木 本を見ながら設計案を3つぐらい、本格的なのから簡単なものまで考えました。そして’64年のオリンピックまでということで開発期間、開発費を想定して相談したところ一番簡単なのにしろと。
小沢 そして出来たのがこのクラウン クロノグラフ。確かにスモールセコンドがありませんし、秒針が追加されているだけです。どこが難しかったですか。
大木 やはり動力を断続するクラッチです。メインの輪列からかみ合わせを増やして別の秒針を動かす。この時はなにもわからないから、とりあえずかみ合わせ方式で、上司に半分叱られながら1年ぐらいで作った記憶があります(笑)。
小沢 一方、次の世界初の自動巻きクロノグラフはどうですか。
大木 こちらは本当に時間が掛かってて、ベースの61ムーブメントの設計から初めて私が担当したので実感があります。’59年の自動巻きのジャイロマーベルとか、手巻きのクラウンを受け継ぐ、今までの集大成を作ろうという気持ちで、実習で気付いた問題点、アフターサービスの課題、総てを洗い出してクリアしようと思ってました。
小沢 まだ入社3年目。物凄い意気込みですね。
大木 特に力を入れたのは自動組立への対応です。それまでの時計はカレンダーなどにコイルバネというステンレスの針金みたいなのを使ってたんですが、それが自動組立だと絡んで団子になっちゃう。そこがネックだったので、僕の方針で全部留めようと。ネジも0・6㎜、0・8㎜、1㎜と3種類もありましたが地板の穴開けが大変なので完全統一しようと。
1964年国産初の手巻きクロノグラフとして登場したクラウン クロノグラフ。インダイヤルはなく、センターにクロノグラフ用の秒針を配したワンプッシュタイプ。
復刻モデル
こちらはその55年周年復刻モデルのセイコー プレザージュで1000本限定。ボックス型ガラス、細いベゼル、アラビア数字などクラウン クロノグラフのディテールが現代的に再現されている。
1969年5月発売の量産型として世界初の自動巻きクロノグラフ、セイコー61スピードタイマー。同年開発のキャリバー6139搭載。耐衝撃性に優れ、正確で軽快な操作感を誇った。写真はさらに30分と12時間の積算計を加えたキャリバー6138搭載モデル。
復刻モデル
こちらはその50周年記念年周年復刻モデルのセイコー プレザージュで1000本限定。ボックス型ガラス、細いベゼル、アラビア数字などクラウン クロノグラフのディテールが現代的に再現されている。限定モデルのセイコー プロスペックスで1000本限定。人気の高いシルバーとブラックのパンダと呼ばれるデザインを採用。ダイヤル全体には縦方向のヘアライン仕上げが施されている。
小沢 日本人が得意の改善、効率化ですね。トヨタ生産方式みたいな。それまではスイスを見て学ぶような感じだったんですか。
大木 諏訪精工舎の歴史でいうと’56年発売のマーベルが1つの分岐点です。日本初のオリジナル設計ムーブメントで、それまでスイスの時計を日本流に作ってましたが当時の開発者、中村恒也さんが「西洋と同じやり方で作ってもいい時計はできない」と。より作り易い、より直し易い、より正確な時計という方針が生まれていく。私も入社直後はよくスイスの時計をスケッチさせられました。
小沢 ある意味中興の祖だ。日本化の方針は中村さんから生まれ、大木さんが引き継ぐわけですね。
大木 直接の上司ではなかったですがかなり影響を受けてます。クラウン クロノの開発中に問題を起こした時も、中村さんに謝りに行きましたが、絶対に怒らなかった。「いい勉強になったろう」と。
小沢 わかってて、あえて失敗させたのかもしれませんね。
大木 当時そういう気風はあったと思います。残念ながら今はなかなかやりにくいと思いますが。
小沢 とはいえ自動化、効率化はどこで勉強したんですか。
大木 自然とわかりますよ。工場の自動化がある程度始まっていたので、失敗を減らすにはどうすればいいか。設計を左右対称にすると方向がわからなくなるのであえて非対称にし、自動選別できるようにするとか。精度を良くする、生産性を上げる、安価にするという目標を立てると自ずと改善ポイントが見えてきます。
小沢 まさに’70年代のトヨタやホンダと被りますね。まず西洋のコピーを作り、それを日本流にアレンジしていく。オリンピックの東洋の魔女の回転レシーブじゃないけど日本人的な創意工夫の塊。世界に追い付け追い越せ!みたいなマインドはありましたか。
大木 あったと思います。
「50年間変わらないクラッチ形状はエンジニアの直感です」
小沢 いよいよ本題の自動巻きクロノグラフですが、なぜ開発を。
大木 きっかけはハッキリしませんが、61のクロノグラフ化の話が出て、今回は時間をかけてやりたいなと。クラウン クロノで学んだことを生かさなければいけない。同時に薄くて軽量で信頼性のある61のメリットも出せるし。
小沢 ある意味リベンジですね。そこで注目は世界初の自動巻き垂直クラッチです。先ほどギアの横方向のかみ合わせでやったクロノグラフへのパワー断続を、クルマのエンジンのようにクラッチでやる。どうやって発想したんですか。
大木 時々聞かれますが、やはり機械的に一番シンプルだと思ったんですね。ご存じのようにクルマにも使われてますし、針飛びが少ないというメリットがある。
小沢 自動巻きで初の技術です。
大木 構造はシンプル、理屈も簡単。ただ時計という小さな構造の中にいかに入れるかがポイントで。それと心配なのは摩擦クラッチなこと。クルマは発進で滑らせてもいいけど、クロノグラフの秒針を滑らせるわけにはいかない。時計は正確さが命ですからね。使った後には針位置も戻さないと。
小沢 どの辺でご苦労を。
大木 一番は押さえるバネの強さです。押さえる時は強く、離す時は弱いのがいいんですが、なかなかそうならない。それから回転方向にたわんで針がフラフラ揺れてもいけない。
小沢 それはどうやって実現したんです? 材質ですか形状ですか。
大木 形状です。これは今のクロノグラフの垂直クラッチの設計図ですが、昔とほぼ変わってません。
小沢 え? クラッチの形状が50年前と変わってない。マジですか。
大木 なんとなくこれなら行けるかなと。エンジニアの直感ですよ。
小沢 今はコンピュータで歪み計算をして形状を検討しますよね。
大木 それから中村さんには形の美しいものは作り易くて壊れないと叩き込まれてましたし。
小沢 けだし名言だ。しかし、今やクロノグラフはスポーツウォッチの代表。クルマで言うならSUVみたいなもの。しかもスイス勢も含めて、高級クロノに垂直クラッチを使ってる。でも大木さんにはヒット作を発明した自覚はないんですよね。
大木 1つのバリエーションを作ったぐらいの感覚です(笑)。
小沢 その後はクロノグラフの続きを作るんですか?
大木 いや、この後会社はクォーツに注力、僕はたまたまメカニカル担当でしたから電子時計を作ってました。でも結局クォーツに敵わず、その後は電卓作ったり、ドットプリンター作ったり、インクジェットプリンター作ったりするんです。
小沢 まさに開発屋でどんどん新しいモノを作っていくんですね。
大木 それが一番楽しいです。
[時計Begin 2020 WINTERの記事を再構成]
写真/岸田克法