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2026.10.29
「LEDERER(レデラー)」日本初上陸! ベルナルド・レデラー氏を直撃インタビュー
GPHG2度受賞に輝く時計師の軌跡
独立時計師ベルナルド・レデラー、68歳。独立時計師アカデミー(AHCI)には、創設間もない1985年に、創設メンバーのスヴェン・アンデルセン、ヴィンセント・カラブレーゼに次いで入会した、重鎮メンバーの一人である。しかし、彼の名は時計愛好家の間では知られていながら、大きくクローズアップされる機会は、これまでそれほど多くはなかった。
2000年代初頭に独創的な機構や、審美性の高いモデルで話題を撒いたBLU(ブルー)というブランドをご記憶の方もいるだろう。このBLUは、レデラー自身のブランドで、その名は「ベルナルド・レデラー・ユニバース」の頭文字を取ったものだった。しかしこのブランドは、2010年前後に姿を消している。
そんな彼が、俄然注目を集め始めたのは齢60を過ぎてからのことである。2021年ジュネーブ・ウォッチ・グランプリ(GPHG)に於いて、「セントラル インパルス クロノメーター(CIC)」がイノベーション賞に輝く。続いて2024年、CICを進化させ、ブザンソン、グラスヒュッテ、ジュネーブの3つの天文台でクロノメーター認定を受けた「トリプル サーティファイド オブザーバトリー クロノメーター」が、またもやGPHGでクロノメトリー賞を受賞。今年2026年のGPHGでも、コンプリケーション部門の最終ノミネート6本に「レデラー CIC 39 インヴェルト チタニウム」が選出され、3度目の受賞を伺っている。
40年に及ぶ時計師としての道程、そして心血を注いで完成させた集大成というべき「セントラルインパルスクロノメーター」とはいかなる機構なのか? 9月からレデラーの取り扱いをISHIDA表参道でスタートさせたBEST ISHIDAの招聘で来日したベルナルド・レデラーにインタビューの機会を得た。

ベルナルド・レデラー/1958年ドイツ シュトゥットガルト近郊のコルンヴェストハイム出身。17歳とき時計ミュージアムで修復を手掛けながら、時計について学び始める。1984年ドイツ時計製造マイスターの資格を取得、独立し自身のワークショップを構える。1985年AHCIメンバーに。1999年のバーゼルフェアで、通訳スタッフだったポーランド出身のエヴァ夫人と出会い、結婚。2000年に夫人とともに拠点をスイス ヌーシャテルに移し、BLUを設立。ブランドをクローズ後の14年コンポーネンツ製造やムーブメント開発を手掛けるMHM社を創業。徐々に自身の時計への関心のルーツである脱進機を軸としたクリエーションへと動き始め、2020年CICのプロトタイプを完成させ、翌21年に完成モデルを発表。
幼い頃、脱進機に魅せられて
――まず、あなたのキャリアのスタート地点から教えて下さい。
「幼少期に祖父の懐中時計を譲り受け、そのチクタクという音に魅了されました。やがて時計について書かれた書物を読むようになり、脱進機ごとに音が違うことを知り、蚤の市などに出かけては、様々な音を実際に聞き比べていました。17歳のとき、時計の道に進む決心をします。ですが私が育った近くには時計学校はなく、デュッセルドルフ近郊のヴッパータールにある時計博物館で修復の仕事に就き、そこで時計のことを学び、1984年にドイツ時計製造マイスターの資格を取得しました。その検定のために製作したのが、3200年間のミレニアムパーペチュアルカレンダーと、800年間修正不要なムーンフェイズと月の位置を示す複雑機構を備え、メカニズムをあらわにしたテーブルクロックでした」
――その後、時計師として独立するわけですね?
「フランクフルトに近いアシャッフェンブルグにワークショップを構え、修復などを手掛けながら、自身の作品も製作していました。当初はクロックがメインでしたが、バーゼルに向かう途中、事故に遭い、積んでいたクロックが全部壊れてしまったんです。これを契機として、93年から腕時計へとシフトしていきました。各地の展示会に大型のクロックを運ぶのも、送るのも、設定のために現地に赴くのも、様々な苦労が伴いましたが、その点、腕時計にはそれがない(笑)。それに腕時計のほうが、より多くの人に楽しんでもらえますから。85年にはマイスター資格取得のために製作したテーブルクロックが評価され、AHCIメンバーに迎えられました」
――AHCI会員になったことで、大きな影響を受けたジョージ・ダニエルズさんとも会うことができたとか。
「尊敬していたジョージ・ダニエルズさんには、87年にバーゼルフェアで初めてお目にかかりました。『このクロックに素晴らしい才能を感じる、あなたの腕時計にも期待をしている』という過分の言葉を頂き、もう感動しましたね。80年代初頭に彼の著作『ウォッチメイキング』が欲しくて、でもドイツでは手に入らず、イギリスまで買いにいったほどですから。私の時計製作のバイブルというべきその本の中扉に、サインとともにその言葉を書いて頂きました。今でも私の宝物です。その後、ダニエルズさんと会ったのは数回ほどですが、よく電話で話をして、アドバイスを頂きました」

ブレゲ、ダニエルズからの系譜を受け継ぐメカニズム
レデラーのキャリアの集大成というべき「セントラル インパルス クロノメーター(CIC)」には、ジョージ・ダニエルズが深く関わってくるのだが、ここでこのCICについて、少し説明しておこう。
この機構のルーツを辿ると、1802年にアブラアン⁻ルイ・ブレゲが発明したナチュラル脱進機にまで遡る。この脱進機は、現在一般化しているスイスレバー脱進機とは異なり、アンクルを持たず、二つのガンギ車からテンプに直接動力を伝達する機構で、二つのガンギ車はかみ合いながら、逆方向に回転する。これにより、動力伝達効率を高め、摩擦を低減し、注油を不要にすることが構想された。ブレゲが、この機構を搭載した懐中時計を約20ピース製作したことが記録に残っている。しかし、当時の金属加工技術では工作精度が不十分で、二つのガンギ車を完全にシンクロさせることが難しく、かえって摩擦が増加したり、停止したりするトラブルが頻発したという。理論通りにはいかず、この脱進機の考え方は、約150年間“お蔵入り”状態となっていた。
これを着想源に改良を加え、1970年代に蘇らせたのがジョージ・ダニエルズである。彼は二つのガンギ車がかみ合うことで発生するトラブルを解消するため「インディペンデント・ダブルホイール脱進機」を考案する。ブレゲの場合は、一つの香箱から動力供給を受けた一つの輪列を介して二つのガンギ車が、かみ合いながら駆動する方式だったのに対し、ダニエルズは一つのムーブメントの中に、二つの独立した輪列と、それぞれに動力を供給する二つの香箱を設け、それぞれがガンギ車を駆動させる方法を採った。これによりガンギ車同士をかみ合わせる必要がなくなり、駆動か安定し、ブレゲが構想したメリットも享受されるようになったのである。ダニエルズは、このメカニズムによる懐中時計を、生涯で約7本製作したと伝わっている。
しかし70年代の金属加工技術では、これを小型化し腕時計に収めることは困難だった。ダニエルズは、このメカニズムを進化させ、1香箱1輪列で同様のメリットが得られる腕時計サイズのメカニズムとして、後にオメガが採用するコーアクシャル脱進機の開発へと動くことになる。
そしていよいよレデラーの登場である。ダニエルズの機構をベースに、腕時計サイズ化に着手し、約6年を費やして最初のプロトタイプを完成させたのが2020年。ダニエルズの時代に比べて金属加工技術は飛躍的に進化し、しかもレデラーはBLUをクローズ後の2014年に、コンポーネンツ製造やムーブメント開発を担うMHM社を設立。時計師としてのみならず、金属加工についても豊富なノウハウを蓄えていた。2020年と言えば、パンデミックの真っ只中。実はそれも彼を後押しした。「パンデミックのおかげで仕事が減少し、タフな時期だったことは確かですが、その分CICの開発に没頭する時間ができたのです」
2021年のジュネーブ・ウォッチ・デイズで、完成した量産型の「セントラル インパルス クロノメーター」のファーストモデルがヴェールを脱いだ。直径44㎜のWGケースに搭載されたこのメカニズムの二つのガンギ車が、文字盤の9時位置に設けられた二つの窓からその姿を誇らしげに覗かせていた。裏返せば、サファイアクリスタル越しに、レデラーが心血を注いだキャリバーの全容を目にすることができる。12時側と6時側に、対称なポジションで二つの同様の輪列が配置されている。各輪列が、それぞれのガンギ車を駆動させ、9時位置の一つのテンプにかみ合い、時を刻む。独立した二つの輪列それぞれにルモントワール機構も追加され、さらなる動力伝達の安定化も図られていた。文字盤側にある時分針を作動させているのは6時側の輪列で、12時側の輪列は、あくまでもガンギ車のひとつを正確に作動させるためだけに存在している。ブレゲから約200年、ダニエルズから約50年の時を経て、ナチュラル脱進機の進化形が、初めて腕時計になったのである。
同年のGPHGで、このタイムピースがイノベーション部門グランプリを受賞したのは前述した通りだ。レデラーは、このモデルをベースにさらなる進化形を発表していく。2023年には、ムーブメント全体を反転させ、表側からこの超絶機構を鑑賞できるようにした「CIC インヴェルト」、2024年には、機構を根本から設計し直し小型化を実現、直径39㎜のケースに収めた「CIC 39」を発表。このモデルには、ブラック、レーシンググリーン、ディープ・ブルーなどの文字盤カラーが用意された。さらに反転させたキャリバーをチタンケースに収めた「CIC 39 インヴェルト チタニウム」が加わった。また2024年のGPHGでは、ブザンソン、グラスヒュッテ、ジュネーブの3つの天文台でクロノメーター認定を受けた「トリプル サーティファイド オブザーバトリー クロノメーター」によりクロノメトリー賞が授与される栄誉に輝いている。
年齢を重ねても衰えない情熱の原動力
冒頭でも触れたように、レデラーがCICのプロトタイプを完成させたとき、彼は62歳。年齢を感じさせないどころか、年齢を重ねてますます旺盛な情熱や意欲に脱帽の思いを禁じ得ない。
「私が時計に魅せられた最初のきっかけは、時計が奏でる音でした。つまり脱進機に対する愛情と関心を持ち続け、それを皆さんとシェアしたという思いが原動力となっているのです。それを実現するためには技術と経験が必要でした。そして忍耐力も。ここにたどり着くまで、本当にたくさんのトライ&エラーを繰り返してきました。自身のアトリエを構えて今年で40周年を迎えましたが、それだけの時間が必要だったと言えるでしょう。自分の脱進機に対する情熱を形にすることに、年齢は関係ありません。これからも、それに取り組み続けていきます。若き日に、博物館でキャリアをスタートさせたことは、有意義だったと思っています。そこで往時のクロックや懐中時計に搭載された様々な脱進機に出会うことができましたから。ただ人生の時間には限りがありますから、全ての脱進機の研究、改良に手を染めるわけにはいきません。その中でもベストなものを選び、集中して取り組む。それを高いレベルで完成させれば、機構自体のパフォーマンスを高め、精度を始め、様々な面でベストな回答が得られるのです。今、別の脱進機の開発プロジェクトもスタートしています。脱進機の何を目標に掲げるかで、何を創り出すかが変わってきます。CICでは、一定の規則性の実現が最大の課題で、これについては、ほぼ100%実現できたと考えています。次のものは、耐久性かもしれないし、なにか他の目的かもしれません。今、40周年を記念するモデル製作に取り掛かっていますが、まだ詳細は言えません(笑)。お教えできるのは、40本限定、ケース径40㎜、そしてコーヒー豆1粒の重さに相当する、わずか0.17gのなんらかのコンポーネンツを用いることです。徐々にその秘密を明かしていくつもりですので、楽しみにしていてください」

ベルナルド・レデラー「セントラル インパルス クロノメーター 39 インヴェルト チタン」。CIC機構を39㎜にサイズダウンし、表裏を逆に搭載し、メカニズムを表から鑑賞できるようにしたモデル。エングレーブを施したケースバックにスモールセコンドを搭載。手巻き、ケース径39㎜、チタンケース×カーフレザーストラップ、3気圧防水。152,000スイスフラン。

ベルナルド・レデラー「セントラル インパルス クロノメーター 39 レーシンググリーン」
レーシンググリーンダイヤルを採用した、スポーティな印象の39㎜径の1本。今年第2回の受賞者が発表された「ルイ・ヴィトン ウォッチプライズ」でファイナリストに選出されたモデル。ケース径39㎜、ローズゴールドケース×カーフスキンストラップ、3気圧防水。155,000スイスフラン。
問い合わせ/ISHIDA表参道公式サイト
取材・文/まつあみ靖