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2022.09.16
屋根裏で10年待ち続けた伝説の不死鳥クロノグラフ 【ザ・ファーストモデル 第6回 ゼニス「エル・プリメロ」】
本当に価値あるものは、時には「隠す」ことも必要だ
エル・プリメロ。時計好きなら誰もが知るクロノグラフだ。人気のある腕時計は、そのモデル名で有名になるのが普通。だが、ゼニスのこの伝説的なクロノグラフは、中身のムーブメントの愛称「エル・プリメロ」で圧倒的な知名度を持つ。1969年、世界初の一体型自動巻きクロノグラフとして誕生。当時、量産型では唯一となる毎秒10振動というハイビート・クロノグラフに世界の期待が集まった。なんとも華々しいデビューであったが、その行く手には予想だにしない茨の道が待ち構えていた。
奇しくも同年、日本の時計ブランドが、クオーツ時計を発表。未来からやってきたような正確無比な腕時計は、瞬く間に世界を席巻。これからはクオーツ時計の時代がくる……、いわゆるクオーツショックである。スイスのあらゆる時計ブランドが、生産縮小、そして廃業に追い込まれた。むろん、ゼニスも例外ではない。1971年には早くも経営危機に陥り、米国企業への売却が決定。新しい経営陣は、クオーツ時計に完全シフトする意思を表明した。1975年には、機械式時計に関する全ての知財の売却を厳命。当然、その中には、エル・プリメロも含まれていた。発表から、わずか6年。世界初の自動巻きクロノグラフは、このまま姿を消してしまうのか。
そんな逆境を、素直に受け入れることができない時計技師がいた。エル・プリメロの生みの親、シャルル・ベルモである。エル・プリメロの開発から関わり、製造責任者でもあった彼には、この可愛い子どもを手放すことなど、考えられなかった。シャルル・ベルモは、エル・プリメロに関する全ての資料を、生産縮小によって使われなくなった棟の屋根裏に隠した。資料と言ったが、そこには147個の金型も含まれていた。総重量は、1トン以上。貴重な設計図と金型を、シャルル・ベルモは弟と2人だけで、屋根裏部屋に運んだ。
1978年、ゼニスは再びスイスの企業に売却された。1980年代に入り、機械式時計への再評価を確認すると、新しい経営陣は、再び機械式時計の製作を指揮する。しかし、製作しようにも、設計図も金型もない。ゼロから作り直している時間もなければ、予算もなかった。そこに一人の救世主が現れる。シャルル・ベルモだ。彼は屋根裏部屋の存在を、この時初めて打ち明けた。かくして1984年、伝説のクロノグラフは見事に蘇るのである。
もし、シャルル・ベルモがいなかったら、現在の時計業界におけるクロノグラフの勢力図は、違っていたものになっていただろう。ロレックスの旧デイトナを含め、ゼニスのクロノグラフ・ムーブメント、エル・プリメロを搭載して復活劇を遂げた腕時計は、決して少なくないからだ。シャルル・ベルモは、ゼニスだけでなく、時計業界の未来をも救ったのである。
問い合わせ:ゼニス
(文・構成/市塚忠義)
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